2020年9月10日木曜日

《もしもピアノが弾けたなら》

 《もしもピアノが弾けたなら》(作詞・阿久悠、作曲・坂田晃一)は1981年にヒットした名曲である。この曲名に登場する楽器名が「ピアノ」だということについては、当時はさほど気にならなかったが、今となってはいろいろ考えさせられる。

曲名が七五調なので、戯れに他の楽器の可能性も考えてみよう。「弾けたなら」を温存するならば、楽器名に使える文字数は3である。すると、次のようなものが浮かぶ――「ギター」「エレキ」「ベース」「ヴィオラ」「ハープ」「チューバ」(この場合には「吹けたなら」になる)「ラッパ」(同)等々。この中で普通の人に訴えかけるという点では「ギター」というのはなかなか悪くない。が、歌詞の中で「もしも弾けたなら」と語るのはそれまで楽器をやったことのなさそうな男性の大人である(しかも、この「もしも……」は反実仮想の語りであって、実際には「弾けない」のだ)。ということは、ここで歌われる楽器にはどこか(80年代初頭当時には)「憧れの的」であり、「高嶺の花」といった感じがするものがしっくりくるわけで、それには「ギター」ではなく(この楽器に憧れる人は「もしも……弾けたなら」などぐずぐず考えずに、事情さえ許せばすぐに楽器を手にとって練習するのではないか?)、やはり「ピアノ」が似つかわしい。

高度経済成長期に「ピアノ」という楽器が1つのステータス・シンボルだったのは間違いなく、事実、ピアノの生産台数は右肩上がりで、レッスンを受ける子供の数もかなりいた。そして、そうした「雰囲気」は自分ではピアノを習わなかった人にも何かしら影響したことだろう。だからこそ、「もしもピアノが」と歌われたときに、多くの聴き手はすっと歌詞の世界に入っていけたのではなかろうか(さもなくば、この曲がヒットするはずもない)。

面白いことに、そうした「ピアノ」人気はこの曲がヒットした頃から次第に衰えを見せ始める。国産ピアノの生産台数がピークを迎えたのがまさにこの頃であり、それ以降はまさに坂を転げ落ちるようにピアノは売れなくなり(それにはいろいろな要因があろうが、ここでは触れない)、この楽器の「イメージ」も次第に輝きを失い始める(それゆえ、今の若い人が《もしもピアノが弾けたなら》という歌から受ける感じはこの曲がヒットした当時の聴き手のものとはかなり異なっているかもしれない)

日本のピアノ製造の歴史を扱った著作には近年、いろいろと好著があるが、「日本におけるピアノのイメージ」を主題にした著作はまだないようだ。これはきっと面白いものになるはずなので、誰か取り組んでくれないだろうか。その際、この《もしもピアノが弾けたなら》をネタにすることもどうかお忘れなく。