2021年7月1日木曜日

もし、シェーンベルクやヴェーバーンらが……

 シェーンベルクやヴェーバーンらが書いた「調性」音楽を聴いていると、いろいろな意味で面白い。まず、朧気ながらとはいえ、のちの無調や12音技法による音楽にも共通する、彼らの個性が感じられるということがある。また、「もし、彼らがそのまま調性(を拡張するだけではなく、新しい観点を生み出して、あくまでもそこ)に留まっていたら、果たしてどんな音楽を書いたのだろうか?」というようなことを楽しく空想(妄想)してしまう(彼らの師匠格のマーラーの場合、逆に「もし、彼が無調に足を踏み入れていたら……」ということを空想したくなる)。

 

1人の作曲家の異なる時期の作品を並べて見る場合、「因果関係」、つまり、「後なるもの」を「先なるもの」の帰結だと人はとらえがちだ。もちろん、それも1つの見方ではある。が、それとは違ったふうに考えることもできよう。すなわち、「後なるもの」が切り捨ててしまったり、実現しなかったりした種々の可能性が「先なるもの」にはあったのだ、と。

そうした「可能性」を探ることは、凝り固まった見方から「名曲」を救い出し、音楽史を活性化させることに繋がるかもしれない。