2021年7月4日日曜日

二十歳のころ?

 昨日、たまたまご近所図書館で立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ『二十歳のころ Ⅱ1960-2001』(新潮文庫、2002年)という本が目にとまり、借りてきて拾い読みしてみた。同書は19602001年に「二十歳」を迎えた各界の著名人に対するインタヴューを収めたもので、なかなかに面白い。なるほど、時代により、人により、いろいろな青春があったのだなあ。

私は基本的には過去を振り返らないことにしているので、自分の「二十歳のころ」などほとんど覚えていない。現在、自分の子供くらいの学生を相手にしていて、「果たして、彼らの年頃、自分は何を考えていただろうか?」と思うことはあれど、どうも曖昧模糊としている。いや、そもそもそんなことなど思い出したくもないのだ。自分には常に「今」、そして、「これから」しかないのだから。

学部、2つの修士課程、そして、博士課程時代、生活は常に逼迫しており(授業料免除でほとんど払っていなかった――精確に言えば、貧乏で払えなかった――が、それでもアルバイトと奨学金で食べていた。たぶん、学生時代は常に同級生や前後の先輩・後輩の中では私がもっとも貧乏だったのではないか)、学校を出てからも(5年前までは)ほとんど綱渡りのような暮らしをしてきた。ときには本当に生活「破綻」寸前のことも何度かあった。が、これは実に不思議なのだが、そんなときには「蜘蛛の糸」が天上からするすると降りてきて、かろうじてその危機を回避できたことがこれまた何度もあった(四柱推命によると私には「財」が全くないのだとか(涙)。が、「食いっぱぐれることはない」のだとも。今まで全く同じことをその道の達人2人から聞かされているが、その都度まことに複雑な思いに囚われた……)。その「蜘蛛の糸」(=臨時の仕事)をたらしてくれたありがたい方々には本当に感謝のことばもない(中には疎遠になってしまった人もいるが、私が感謝の念を忘れることは絶対にないだろう。残念ながらその気持ちを直接伝える機会は訪れないかもしれないが……)。そして、現在は家族に対してもただただ感謝するのみである。

「人生は勝負だぜ、意地があるなら泣き言言うな」というのはアニメ『男一匹ガキ大将』主題歌の一節だが、なかなかに含蓄があるではないか。私には「意地」というほどのものはないが、人生が「賭け」のようなものだとの感覚はある(これはそれこそまさに「人生は勝負だぜ」を地で行った――そして、今世紀になってから音信不通になった――私の父の「悪い」気質を受け継いでしまったのかもしれない)。そして、その都度の「賭け」はあくまでも自分で選んだのであって、その結果は「誰のせいでもありゃしない、みんな俺ら」自身のせいであり、自分で引き受けるべきものだと(少なくとも私は)思っている(ので、「泣き言」は言いたくない。もちろん、そうはいっても人生にはいろいろの不公平があることも十分に承知しているし、悲惨な境遇の下に生まれ育った人たちのことは気の毒だと思う)。

もっとも、私は(父とは違って)「馬鹿勝ち」しようとの野望はない。トータルで「負け」(つまり、死ぬときに後悔し)なければそれでよい、と思っている。というわけで、あれこれ浮き沈みはこれまでにもあったし、これからもあるだろうが、できるかぎり淡々と「波乗り」をしていくつもりだ。苦労はあっても、関わりのある人たちとは「楽しく」、そして、その中で自分にできることを行い、それがごく少数の人たちにであっても、何かしら役に立つものになればうれしい。