ジョン・ケージの音楽は私にとって、夏の暑さを気分の上で和らげてくれる「必須アイテム」である。それゆえ、今日も《北方のエチュード集》その他を聴きながら仕事をしている。ぽつぽつと鳴る音の効果はまことにすばらしく、暑さもそれほど気にならなくなってくるのだ。
さて、そのジョン・ケージの音楽だが、こうしてCDで聴いていると、当然、周囲の物音がそこに混ざり込む。これが普通の音楽ならば、そうした物音は邪魔になるのだが、ケージの場合、不思議とそうはならない。いや、それどころか、その物音(たとえば賑やかな蝉の声や、普通に聴けば耳障りなオートバイの音、その他が音楽の一部になるから面白い。
それどころか、次のようにさえ思えてきた。すなわち、ケージの音楽はノイズのない演奏会場で狭い客席に我が身を縛りつけて緊張しながら実演に接するよりも、いろいろとノイズがある自宅で気楽にCDを聴き流す方が格段に楽しめるのではないか、と。さて、こうした考え方は出不精で演奏会にはほとんど出かけない者の「我田引水」であろうか? それとも、ケージの音楽のある本質的な一面に触れるものであろうか?