旧師の山口修先生は今から20年ほど前、「応用音楽学」なるものを打ち出した(この名称自体はそれ以前にもあったのだが、考え方が異なる)が、当時の私にはなんだかそれが途方もない大風呂敷に見えて、さほど興味が持てなかった(その後、東京芸大にも「応用音楽学」の専攻ができたが、こちらは徹底した実用志向である。これには「さもあるべし」と頷けるところも大いにある反面、「ちょっとつまらないなあ」と思わなくもない。が、こうした専攻があること自体は大いにけっこうなことだ)。
ところが、その後、ドラッカーや安冨歩さんらの著作に刺激を受けて「マネジメント」に関心を寄せ、あれこれ考えているうちに、私の中でも何かが変わっていった。そして、何のことはない、いつの間にか自分が目指す方向はまさに「応用音楽学」と何かしら重なりあうようになっていたのである。『演奏行為論』はもちろん、現在執筆中の『ミニマ・エステティカ――音楽する人のための音楽美学』なども、まさに「応用音楽(美)学」の実践だと言える。
こうなるには旧師の影響が少しはあったのかもしれない。だとすると、「仰げば尊し、我が師の恩」である。が、そもそも自分の中に元々そうした志向があったのだろう。というのも、「人はいかにしてよりよく生きることができるか?」というのが私にとって常に根本的な問題としてあったのだから。悔やまれることに(今にして思えば)前世紀末から7、8年ほど他の(自分にとっては本当の意味では重要ではなかった)問題にかまけて、根本的な問題を見失っていた時期があった(ただし、そのときにはそれはそれで充実していたし、仕事面でいろいろ救いの手をさしのべてくださった方への感謝の念は今でも失っていない)が、その後は迷うことなく、わが道を進んでいる。まことに遅々たる歩みではあるし、五里霧中ではあるが……。