2021年7月11日日曜日

ピアソラとツェムリンスキー

  予告通り、昨日の演奏会の感想を。それは「新・音楽の未来への旅シリーズ いずみシンフォニエッタ大阪 第46回定期演奏会『郷愁と官能のリリシズム』」である。出演者と演目は次の通り:

 

出演者

飯森範親(指揮)
小松亮太(バンドネオン)
梅津 碧(ソプラノ)
大西宇宙(バリトン)
いずみシンフォニエッタ大阪

演奏曲目

~ピアソラ生誕100年~
 A.ピアソラ(小松亮太編):リベルタンゴ
 A.ピアソラ:オブリビオン、バンドネオン協奏曲
~ツェムリンスキー生誕150年~
 A.ツェムリンスキー(T. Heinisch編):叙情交響曲(室内管弦楽版)

 

とても聴き応えのある、いろいろな意味で面白い演奏会だった(ちなみに、ピアソラは今年生誕100年で、ツェムリンスキーは150年)。

 前半・後半ともに演奏に先立って出演者によるトークがあるのだが、とりわけ前半の小松の話は興味深かった。バンドネオンというなかなかに「謎」な楽器の由来をわかりやすく説明するとともに、タンゴやピアソラについても実に要領よく面白く語る話芸には脱帽である(なお、小松には『タンゴの真実』(旬報社、2021年)という近刊があると聞き、これは是非とも読んでみたいと思う)。

 もちろん、演奏もすばらしかった。ピアソラ・ブーム以降、誰もが好んで作品を取り上げてはおり、まあ、それはそれで大いにけっこうで、聴いていて楽しくはあるのだが、心の琴線に触れる演奏に出会えることは滅多にない。が、小松の演奏はその「欲求不満」を見事に解消してくれた。ピアソラに限らず、もっと彼のパフォーマンスを聴いてみたいものだ。

 後半のツェムリンスキーは実演では聴いたことがなかったので、編成を縮小した編曲版とはいえ高い水準の演奏(歌唱)に接することができ、こちらも満足である。演奏を楽しみながら、「ああ、こうしたお耽美な世界にはやはり自分は馴染めないなあ」ということが再確認できたという意味でも面白かった。そして、ツェムリンスキーという作曲家は(あくまでも私個人にとってのことではあるが)やはり「B級」だとも感じた。

 では、ツェムリンスキーを「B級」だと私が感じるのはなぜか? それは音楽の構成が説得力に欠けるからだ。《抒情交響曲》の細部にはいろいろと面白いところがあり、書式も見事なものであり、魅せられる瞬間も少なくない(だから、聴いていて楽しくはある)。が、最後まで聴いたときに、1つの作品として何だかすっきりしないのだ。

 その点、ピアソラは違う。彼の《バンドネオン協奏曲》は音楽のつくりはシンプルだし、和声進行なども定型の繰り返しが少なくないにもかかわらず、音楽上の「出来事」の組み立てが見事であるがゆえに、始終耳をとらえて放さず、最後に深い満足をもたらす(ように私には感じられた。もちろん、それには小松のような優れた演奏者が欠かせないが)。そして、この意味で私にとってピアソラは「A級」の作曲家である。

 だが、そうはいっても、《抒情交響曲》を聴いて楽しかった――それも、お決まりの「名曲」を聴くよりも格段に!――のは確かである(できれば、もっと「お耽美」に徹して欲しかったと思わなくもないが……)。

 ともあれ、演奏者の皆様、演奏会の企画・運営に携わった皆様、楽しい音楽を聴かせていただき、ありがとうございました。