ヤニス・クセナキス(1922-2001)のなかなかに暴力的な音楽は夏の暑さをしばし和らげてくれる。今日聴いていたのは1960年代の諸作(たとえば、次のものなど:https://www.youtube.com/watch?v=37ajOyhcl_c。ただし、私が聴いていたのは別の手持ちのCD)。「なんだ、これでは外のやかましい蝉時雨と一緒じゃないか!」と思われるかもしれない(し、実際、その通りだとも思う)が、なぜか、これが暑さを忘れさせてくれるのだ(そして、この手の音楽に馴染むと、逆に外の蝉の声や激しい雷雨の音がクセナキスの音楽のように聞こえてくるから面白い)。
クセナキスは少年時代から好んで聴いてきたが、昔と今とでは些か聞こえ方が違ってきている。つまり、80年代にはそうした音楽はまだ何か「これから起こることへの期待や希望」を喚起するものだったのに対して、今ではそこに、かつて繁栄を誇ったものの「廃墟」がごく短い瞬間に何度かダブって見えるような気がするのだ。そして、そんな刹那に得も言われぬ哀感のようなものが胸をよぎる。「昔はよかったなあ」ということなのではない。むしろ、その「昔」の作品にすでに現在の(音楽に限らない、この世のさまざまなものの)「廃墟」へと到る道筋が刻み込まれていたのではないか、との疑念が浮かぶ。
とはいうものの、それでも私はこれからもクセナキスを含むやあれこれの昔の「現代音楽」を聴き続けるだろう。単純に聴いて面白いということもあるが、それだけではなく、そうした作品が何かを考えさせてくれるものでありうるからだ。そして、今も「新作」がそのようなものであって欲しいと思い、出会いを待ち続けている。