昨日、久しぶりに八村義夫の晩年の作品《ブリージング・フィールド》作品15(1981/82)の楽譜をしげしげと眺めていたが、そこから漂ってくる「妖気」のようなものに圧倒された。実にきちんと几帳面に、そして美しく書かれた譜面だが、音楽のありようは凄絶であり、これはもう己の身を削って書いていたとしか思えない。
そうした八村の音楽は私が理想とする音楽のありようとはかなり異なるのだが、それでもなぜか時折、無性にそれに触れてみたくなる(ので、ディスクを聴き、楽譜を眺め、ピアノでたどたどしく音を探っている)。そして、そのつど、その音楽に身震いさせられるのだ。
ところで、八村が大いに好み、影響を受けたイタリアの作曲家シルヴァーノ・ブッソッティ(1931-)はまだ存命だとのこと。なるほど、後者の音楽は激しくはあるが、凄絶さはあまりなく、もっと伸びやかだ。八村が「お手本」から観て取ったものは、ご本尊の本質的な部分ではなかったのかもしれない。もちろん、だからといって八村の音楽の価値が下がるわけではないが。
米国の哲学者ジョゼフ・マーゴリスが1月ほど前に亡くなっていたことをつい先ほど知った(彼のある論文を読んでみたいと思い、どうやったら手に入るかを調べている中でのことだ)。1924年生まれだというから、ほぼ1世紀、それも激動の時代を生きたわけだ。ともあれ、ご冥福をお祈りします。