2024年11月7日木曜日

メモ(127)

  どんな音でも音楽になりうる(=音楽として聴ける)と説いたのはジョン・ケィジだった。だが、その場合の「音楽」はそれまでに人々が行ってきた種々の音楽とは決定的に異なっている。後者の音楽は必ず「スタイル(すなわち、音の扱いの型)」を持っているのに対して、前者はそうではないからだ(「スタイルを持たないことがスタイル」だと言えなくもないが……)。それゆえ、ケィジのことを「音楽の概念を拡げた」などと単純に言えるものかどうか……。彼が拡げたのは「世界のとらえ方」だとは言えようが。

 なお、付言しておけば、個人的にはケィジの音楽には大好きなものもあれば、そうでもないものもある。そして、「思想家」としてよりも「音楽家」としての彼の仕事に心惹かれる。