私にとって小林秀雄(1902-83)の文章は不可解で興味をそそらないものだった。有名な「モオツアルト」をはじめとして、とにかくどれを読んでもピンと来ない。もちろん、読者たる私の素養の問題が大きかったのだろうが、とにかく「ああ、これは自分には無縁な人なんだな」と決め込んでしまい、あるときから全く読んでいない。
とはいえ、気にならないわけではなかった。だから、小林自身の文章ではなく、小林について書かれた文章をたまに読んでいた。その中に鹿島茂『ドーダの人、小林秀雄』(朝日新聞出版、2016年)があるが、これがまさに小林の「わけのわからなさ」を明快に説いた書であり、内容がいちいち腑に落ちた。それで「ああ、やはり小林など読まなくてもよいのだな」とすっかり安心したのである。
にもかかわらず、実は心の奥底では安心などしていなかったようだ。それが証拠に、先日、ご近所図書館で苅部直『小林秀雄の謎を解く――『考へるヒント』の精神史』(新潮選書、2023年:https://www.shinchosha.co.jp/book/603902/)を借りてきて今読んでいる。「もしかしたら、この著者の書き物ならば、自分の小林嫌いを治してくれるのではないか?」という期待があったのかもしれない。そして、本当にその期待は満たされるような気がしている。少なくとも、もう一度小林を読んでみようという気にはなったのだ。その結果、愛読者にはなれないかもしれないが、少なくとも妙な偏見からは脱することができるだろう。というわけで、苅部書との出会いに感謝。
その小林秀雄の盟友、河上徹太郎(1902-80)には以前から興味を持っており、その著作をまとめて読んでみたいとずっと思っている。当分はその機会は訪れなさそうだが、いつか必ず!