シェーンベルクの音楽をはじめて聴いた少年時代、とてもそれを「美しい」とは感じられなかった。のみならず、一部の作品を除いては積極的に聴きたいとも思わなかった。ところが、それから短からぬ月日を経て、気がつけば「ああ、美しいなあ」と感じる瞬間を多々見いだせるようになっていた(もちろん、その「美しさ」はたとえば古典派やロマン派の音楽に感じられるものとは異なるものだが)。
すると、「シェーンベルクの音楽の聴き辛い響きは作曲当時の世のありようを反映しているのだ」といった類の物言いはかなりのところ疑わしく思われるようになった。もちろん、そうした「反映」が(意識的になされたものであろうとなかろうと)全くないわけではなかろう。だが、それだけであるはずがないのだ。
シェーンベルクはあるとき、自作の《管弦楽の変奏曲》を聴いた人から「実に美しいです」と言われ、素直に喜んでいる。私も同じ感激を作曲者に伝えたい気持ちだ。