昨日に続きコープランドの話題を。
作品表を見ると、コープランドの「生産性」が最も高かったのは1940年代だということがわかる。50年代に入ると作品数はぐっと減り、60年代になるとさらに。これは彼の創造力が衰えたからだろうか? だが、1960年に書かれた《九重奏曲》を聴くと、どうもそうだとは思えない。この作品には当時の前衛とも保守とも異なる独自の作風が示されているのだから(https://www.youtube.com/watch?v=4fQ3QwL8iQs)。
ところが、1962年に書かれた管弦楽曲《コノテーションズ》(https://www.youtube.com/watch?v=kPlLUucOKfw)、そして、67年の《インスケイプ》(https://www.youtube.com/watch?v=3PDMKV2pdxk)でコープランドはセリー技法を取り入れ、それまでの作品との繋がりを持つものの、ある面ではかなり異なる作品をつくりあげている。いずれの曲もさすがコープランドの手になるものだけあり、実に聴き応えがある。が、彼の創作は実質的にはそこでほぼ(というのも、その後にも数曲は書かれているからだが……)終わってしまうのだ。
《九重奏曲》であれほど豊かな音楽の世界をつくりあげたコープランドが、なぜ、その方向での創作を深めることなく、12音楽技法などを採用したのか。それはおそらく、己の本心からの欲求に従ったのではなく、「現代音楽」が我が世の春を謳歌していた「時代の圧力」に屈したがゆえであろう。そして、だからこそそれは長続きせず、結局、創作も先細りすることになってしまったのではないか。
なお、コープランドの数歳下のエリオット・カーター(1908-2012)のように「前衛」への転向が大成功した人もいる。肝心なのは、時代の潮流に乗るとか乗らないとかいうことではなく、自分が本当にしたいこと、そして、自分の資質に合ったことを突き詰めることであろう。もし、コープランドが周りのことなどあまり気にせず、とことん我が道を行っていたならば、《九重奏曲》の先にどのような豊穣な音の世界が繰り広げられることになったであろうか?