2019年11月28日木曜日

エッセンシャル版ベートーヴェン=シュナーベル

 往年の名ピアニストにして作曲家のアルトゥア・シュナーベルが編集したベートーヴェンのピアノ・ソナタの楽譜はいろいろなヒントに満ちている。だからこそ、今でも版を重ね続けているのだろう。
 それゆえ、その翻訳版があってもおかしくはない(どころか、有益だろう)。が、もし私が翻訳をするならば(その意志はないので、あくまでも仮定だが……)、全訳はしない。というのも、楽譜に付けられたシュナーベルによる夥しい註の少なからぬものは、過去の種々の版への批判的なコメントだからだ。なるほど、そうした版が現役だった頃にはシュナーベルのコメントには意味があっただろう。しかし、そこで触れられている版は今やほとんどがお蔵入りの状態なので、それへの批判はいわば「徒手空拳」のようなものになってしまっている。そのため、今日でも有益な註(あるいは1つの註の中でも有益な部分)を取捨選択して訳すだろう。つまり、いわば「エッセンシャル版」をつくるわけだ。

 この「エッセンシャル版」の楽譜本体には、今日の原典研究を参照した必要最小限度の註も必要となろう。すなわち、シュナーベルが演奏のために加筆した部分は温存しつつ、彼が校訂した楽譜本体については必要な訂正を施す、ということだ。さて、誰か、この企画に挑戦する奇特な人士はいないものか。

 翻訳には相変わらず苦しんでいるが、何とか年内には仕上げねば!

 忙しいときほど、却っていろいろなアイディアが浮かぶもの。先日も大学へ向かう途中に電車の中でパッと1つひらめいた。その実現はまだまだ先になりそうだが、うまくいけばかなり面白いものができあがるだろう。
 それとは別に少し前に思いついたのが『音楽の語り方』という本のアイディアである。これは『演奏行為論』の中で触れた「言及ゲーム」の考え方を展開し、コミュニケーションと演奏ゲームの実践の問題を説くものとなろう。そこでは一切註はつけず、できるかぎり平易に問題を論じたい。これは来年になったら書き始めてみよう(どこかが出してくれるあてがあるわけではないが……)。
 

2019年11月11日月曜日

調和に満ちた「プレイ」

 私もベートーヴェンの音楽を愛することでは人後に落ちないつもりだ。が、だからこそ、彼の「名曲」ばかりを取り上げた演奏会へはあまり行かない。新鮮な気持ちで作品や演奏に向き合うには、(少なくとも演奏会では)「ごくたまにしか聴かない」ことが必要だからだ。それゆえ、たとえば、交響曲の演奏会ならば、あと10年くらいは行かなくてもかまわないと思っている。そして、それくらいたってから実演を聴けば、大いなる感動を味わうことができるだろう、とも。

 この理屈から言えば、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会」などというのは、私にとっては基本的には「避ける」べき類のものである。が、物事には例外がつきもの。アンドラーシュ・シフが自身が結成した楽団とともに演奏をするとあらば、これは聴き逃せない(http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=1856)。……というわけで、910日と大阪のいずみホールに大いなる期待を持って出かけてきた。そして、深い感動を味わわせてもらった。

 一言でいえば、ベートーヴェンの凄さが改めてよくわかる演奏だった。たとえば、初日には第234番が弾かれたが、まず、第2番ではハイドンやモーツァルトの強い影響の中にも若きベートーヴェンの個性が強烈に感じられる。そして、続く第3番ではそこで新たに切り開かれている全く新しい劇的な音の世界に驚嘆させられ、第4番ではそこにさらなる広がりと深み、そして軽やかさが加わっており、心底魅了された。2日目の第15番でも同様。

 もちろん、これには演奏の見事さが大いに与っている。シフのピアノについては今更多言を要すまい。それに加えて興味深かったのは管弦楽とのやりとりだ。シフの仲間が集った楽団「カペラ・アンドレア・バルカ」(そのコンセプトについては上記リンク先を参照のこと)が独奏者とともに「作品」を軸に繰り広げたのは調和に満ちた「プレイ」である。一糸乱れぬ管弦楽がピアノと「対決」したり、主導権争いをしたりするのではなく、また、昨今少なからぬ影響力を持っているHIPの流儀にもさほどとらわれず、彼らは時にはごくささやかな(指揮者の「統制」が行き届いた管弦楽にはない、が、音楽としては全く問題のない)ほころびを見せながらも音楽として格段に充実した時を紡ぎ出す。そして、大昔の作品であるにもかかわらず、それは「今」の音楽として「も」説得力を持って鳴り響く。だから、聴いていてとても楽しい。

ともあれ、この演奏があまりに見事で面白かったものだから、すべてを聴き終えたのち、こう思った。「ベートーヴェンのピアノ協奏曲の実演は最低でもあと5年、いや、もしかしたら10年は聴く必要はあるまい」と。というわけで、いつものように、すべての演奏者とこの演奏会の実現に関わった方々に深く感謝し、お礼を申し上げたい。