2024年1月31日水曜日

以前

  以前、坂本龍一が松本清先生のところに習作の返却を求める電話をかけてきたことを話題にした(https://kenmusica.blogspot.com/2023/05/blog-post_26.html)。その際、坂本は「お父さまとお兄さまにはたいへんお世話になりました」と言ったとのことだ。このことを清先生から昨日Google Meetによる会話の中でうかがい、「さもありなん」と私は思った。というのも、坂本龍一が「世界のSakamoto」たり得たのは、1つには優れた「職人芸」があってのことであり、その土台が築かれたのは松本作曲教室だったに違いないからだ(ちなみに、彼は作曲教室で課された宿題は実にきちんとこなし、作品発表会にも真面目に参加したという)。

 とはいえ、坂本はそのことを公の場ではあまり認めていない。彼が生前にものした文章をあれこれ読んでみると、松本民之助については否定的に語られたものばかりが目に付く。もちろん、師匠に批判されるべき点がなかったわけではあるまい。が、それにしても……である。

 では、そんな坂本が上記のように語っているのはどういうわけか? おそらく、己の死を目前にして、もはや「ええかっこしい」の必要もなくなり、素直にそう思ったことを言葉にしたのであろう(これについては清先生も同意見)。だとすると、なかなかに感動的なことである。

 

2024年1月24日水曜日

メモ(107)

 「人を不幸にする思想はいらない」(冨田恭彦『詩としての哲学』、講談社、2020年)というのは名言だが、同じように「人を不幸にする音楽はいらない」と言うこともできよう。そして、この場合、音楽のありようよりもむしろ、その用い方のほうが問題となる。

 

 母が亡くなってほぼ一ヶ月。意外と平気なものだ。以前から時間をかけて心の準備をしていたからということもあろうが、自分もさすがにこの歳にもなると「人はいつかは必ず死ぬ」ということを当然のこととして受け入れられるようになっていたからでもあろう。もっとも、これは母がそれなりの年齢まで生きたからそう思えるのであって、もっと若い人の死に対してはそうはいくまい。

2024年1月16日火曜日

メモ(106)

  私は日本語によるラップにはどうしても違和感を覚えずにはいられない。英語のリズムから生まれた音楽なのに、それとは根本的に異なる日本語のリズムでやろうとしても無理が生じるのは当然というもの。

 日本語でラップのようなことをやるならば、自国の音楽にヒントを得た方がよかろう。たとえば河内音頭などはどうだろうか。

2024年1月12日金曜日

人生最後の1曲?

  コロナを全くの無傷で乗り切った私だが、昨日、数年ぶりに発熱した(今日検査したら、コロナでもインフルエンザでもなかったので、ただの風邪だったわけだ)。さほど高い熱でもなかったのだが、久しぶりだと身体に応える。もちろん、その間は音楽などお呼びでない。

 そこでふと思ったのは、いずれ自分も病を得て亡くなるのだろうが、その直前に優雅に「人生最後の1曲」などを楽しむのは難しかろう、ということだ。ちょっとした発熱程度でこうなのだから、もっと重篤な病だったら推して知るべし。

 もっとも、人の死などいつ、どういうかたちで襲ってくるかなどわかったものではない。そこで、音楽についてもいつそうなってもかまわないようにしておけばよかろう。すなわち、常に「今、自分が一番聴きたい(弾きたい、楽譜を読みたい)」音楽に触れるようにすればよい、ということだ。そうすれば、今際の際に「ああ、あれを聴いて(弾いて、読んで)おけばよかった」などと後悔することもなくなろうというもの。……おっと、これではますます演奏会から足が遠のきそうだ。

2024年1月6日土曜日

「面白い情景」??

  シューマンのピアノ曲《謝肉祭》作品9にはScènes mignonnes sur quatre notesという副題がついている。この中のScènes mignonnesを「面白い情景」と訳したものがあるが、誤訳だろう。「小場面集」(あるいは「小景集」)でよいのではないか。

 

日課の1つとして楽譜の「塗り絵」を続けている。するといろいろなことがわかるので、面白くてやめられない。たとえば、バルトークのピアノ・ソナタで試みたところ、音楽の多層性と多旋法性が一目瞭然になり、この作品への興味が深まった。

2024年1月1日月曜日

2024年の始まり

  2024年が始まった。昨日述べたように、とにかく自分の「これだ!」ということに励むしかない。 

 今年の「初弾き」はベートーヴェンのピアノ・ソナタ第31番第1楽章(もちろん、うまくは弾けないが)。そして、「聴き初め」はシェーンベルクの作品12。今年は彼の生誕150年なので、日々、作品番号順に作品を聴いていくつもりだ。それにしても彼は一生の間にこの出発点から何と遠くへ行ってしまったことか。だが、それにもかかわらず、最後までその音楽は伝統に深く根ざしていた。まことに偉大な作曲家である。

  なお、今年はシェーンベルク以外の有名どころではブルックナーとライネッケの生誕200年、ブゾーニの没後100年、アイヴズの生誕150年、團伊玖磨の生誕100年。

 

 [追記]

 上の文を投稿したのち、まさかあのような地震があるとは……。自宅でかなりの揺れを感じたが、たぶん震源はどこか別のところだと思ってすぐに調べてみると、石川県の能登ではないか。一週間前に葬儀で金沢へ出かけてきたばかりなので、なおのこと驚きである。被災者の方々にお見舞い申し上げたい。