2023年7月30日日曜日

酷暑にはアイヴズ

  連日酷暑が続くが、こうなると音楽などどうでもよい……とはならない。暑いからこそ聴きたくなるものもあるからだ。

 ここ数日の気分はアイヴズ。彼の音楽にしばしば現れる混沌はなかなかの清涼剤なのだ。今日も第4交響曲と《コンコード・ソナタ》を聴いたがまことに気分爽快である。昨今の息苦しい世情にあって(日々のニューズに登場するこの国の政治家たちの何と人相の悪いことか)、アイヴズの何ものにも囚われない自由で大らかな音楽には本当に励まされる。

 彼の作品では同じ素材(それは自作のこともあれば、既存の曲のこともある)が複数の作品に現れる。たとえば、今日聴いた2つの作品にもそうした素材がいくつもあり、中にはさらに別の作品で用いられているものもある。もしかしたら、そうした素材はアイヴズにとって、何らかの理想・理念を体現しているものなのかもしれない。もちろん、聴き手には本当のところはわからないのだが、それでもそうしたものを聴くと私はなぜだか嬉しくなってしまう(たとえば、第4交響曲第2楽章の一節・次の動画で15’ 26”からのところ:https://www.youtube.com/watch?v=cCFiwmIi9Gw。これは《コンコード・ソナタ》の第2楽章、《ニュー・イングランドの3つの場所》第2曲、《カントリー・バンド行進曲》などにも登場する)。

 

2023年7月27日木曜日

これは聴き逃せない!

 これは聴き逃せない!:https://www.izumihall.jp/schedule/20230911。中野慶理先生がドビュッシーの《前奏曲集 第1集》を弾くとなれば、いったいどんな世界がそこに繰り広げられることになるのだろうか。

2023年7月25日火曜日

ごくごく些細な点かもしれないが……

  今観ているドラマ『VIVANT』はなかなか面白い(https://www.tbs.co.jp/VIVANT_tbs/)。が、第2話を見ていて「おや?」と思った箇所が1つあった。それは前回に登場人物の1人が言った「ヴィヴァン」という語が’vivant(仏語の動詞vivreの現在分詞形)のことではなく、実は’beppan’(別班)のことだった、と推論するくだりだ(「あらすじ」は次を参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/VIVANT)。引っかかったのは、「vi」に聞こえていたものが実は「be」だったかもしれない、という点である。eについては確かにその可能性はあるが、vとbを聞き違えるということはまずなかろう。両者は発音が根本的に異なるからだ(前者は摩擦音、後者は破裂音――で、pはその無声音――)。

 なるほど、スペイン語のような言語ならばvとbという綴りは同じ音である。が、ドラマでそのとき舞台となっていた架空の国「バルカ共和国」で話されていた言語はモンゴル語だとのことで、調べてみると、やはりvとbの発音の別はある(vはwの音になるようだが)。そして、件の推論をした登場人物がその「モンゴル語」を流暢に話していることからすれば、当然、2つの音を発音仕分け、聞き分けることができているはずだ(さもなくば、コミュニケーションに支障を来さないわけにはいかない)。

 これはごくごく些細な点かもしれないが、物語の展開に関わりそうなことだけに、些か残念に思う。が、vivantという語はドラマの題名だけに、それに関わる謎解きがこれからなされることになるのだろうか。ともあれ、今後の展開が楽しみである。

 追記: ドラマを最終回まで観た。期待以上のできであり、毎週の放映が楽しみだった。が、それはそれとして気になる点も。最終回で日本の美点を登場人物が説いていたが、これはいくら何でも手前味噌すぎる。もし、日本が本当にそのような国ならば、現在の悲惨な状況はありえないはずなのに。そして、そんな日本で「国の大義」などと言われても……。

 

 

2023年7月23日日曜日

ケージの音楽でもやもやの解消を

  ジョン・ケージの音楽を聴く晴れやかな気分になる。今日も《プリペアード・ピアノと室内管弦楽のための協奏曲》(1950-51)(https://www.youtube.com/watch?v=ms70jqdZHzs)を聴いてみたところ、日々のもやもやが見事に取り払われた(精確に言えば、落ち着きを取り戻した)。

こうした効果は他の音楽ではなかなか得られない。つまり、意気消沈しているときに「ハイな気分」にしてくれたり、寄り添ってくれたりするような音楽はいろいろある(それは薬と同じようなもので、最終的にいつもよい結果をもたらすとは限らない)が、ケージの音楽はそうしたものとは一線を画する。

彼の音楽を聴いても興奮させられることはないし、深い感動を味わうこともない。相互の関連を聴き取ることのできない11つの音、音の出来事に向き合ううちに、心はむしろ醒めてくるのだ。そして、そのときもやもやは雲散霧消している。

「もやもや」のある方は、上記のものに限らず、ケージの音楽を是非お試しあれ。

2023年7月20日木曜日

ブゾーニ編集のバッハ曲集への興味

  このところブゾーニ編集のバッハ曲集への興味が私の中で再燃している。《平均律》を久しぶりに書架から取り出してきてつらつらと眺めてみたが、バッハの音楽に対してブゾーニが発揮した想像力と創造力にただただ圧倒されるばかり。

 ところで、ブライトコプフ社から出ている「バッハ=ブゾーニ版」25巻の中でもっとも版を重ねているのは、おそらく《平均律》と2声のインヴェンションと3声のシンフォニア(ブゾーニ版ではこれも「インヴェンション」と呼ばれている)だろう。だが、もしかしたら、これらの曲集が「バッハ=ブゾーニ版」でブゾーニが目指したことを見えにくくしている可能性が多分にある。というのも、それらのうち《平均律》第2巻以外のものは同シリーズが刊行され始めた1914年よりも20年ほど前に編集されたものであり、その間にブゾーニの考え方がいろいろ変わってしまったからだ。

 そのことがよくわかるのが、《平均律》の第1巻(初版は1894年)と第2巻(同1915年)の違いである。すなわち、前者ではピアノ演奏技術の可能性が極限まで追求されていたのに対し、後者では関心の所在はバッハ作品を土台にした「作曲=構成のメカニズム」(同巻の序文中の文言)の探求へと移っているのだ。そのためだろうか、同シリーズ中でブゾーニが編集を行ったのは9つの巻のみであり、残りは弟子のエゴン・ペトリ、そして同じイタリア人のブルーノ・ムジェリーニに任せている。そして、彼らが《平均律》第1巻と同じ流儀で編集をしているのに対し、ブゾーニが手がけた他の巻に見られるのは第2巻の編集と同じ志向だ。

 この「同床異夢」を解消するためだろうか、ブゾーニは何と、同じシリーズが完結していない段階で別のシリーズ『バッハ=ブゾーニ全集』をまとめ、公表している。ところが、後者は版が途絶えて久しく、「バッハ=ブゾーニ版」が今でも版を重ねているのだ。ブライトコプフ社にこの「倒錯」を解消するつもりがないのならば、もはや版権が切れているのだから、どこか別の出版社が『バッハ=ブゾーニ全集』の批判校訂版を出せばよかろう(もちろん、このご不景気なご時世ではどの国であれ、その実現が難しいことはよくわかってはいるが……)。 

 

 いや、まことにごもっとも: https://www.mag2.com/p/money/1317913


 そういえば、来年はブゾーニの没後100年。彼の多方面にわたる仕事のうち現代に活かせるものは何かを改めて考えるよいきっかけになろう。

2023年7月18日火曜日

納涼〈シャコンヌ〉

  J. S. バッハの無伴奏ヴァイオリンのための〈シャコンヌ〉は極上の名曲だが、私には時折、その「仰々しさ」が嫌になることもある。そんなときに聴きたくなるのが、ギター独奏による演奏だ。その軽やかさとすがすがしさは原曲の中にもあるものだが、ギター版はそれらをいっそう強く感じさせてくれる。

 今日のような酷暑の日にはギターは格好の納涼アイテムだ。そこで手持ちのCDで次の演奏を聴いてみた:https://www.youtube.com/watch?v=EudXs3_1PvU。すばらしい音楽。そして、暑さもいくらか和らいだ気になる。

2023年7月14日金曜日

メモ(101)

  近年、プラグマティズムを学び、今、ローティの著作を読んでいると、長年自分の中でもやもやしていた霧が晴れてくるのを感じる。そして、今苦悶しながら取り組んでいる『ミニマ・エステティカ――音楽する人のための美学――』の中で、何かが少しずつ姿を現しつつある。同書を構想し始めたときには思いも寄らなかったようなものが。

 では、それはどのようなものなのか。そう遠からぬうちにここでその一端を示すことにしたいが、その根本にある考え方はこうである――「どう音楽するか」に直接関わらない「美学」の理論など、「音楽する人」は基本的にほとんど必要としていない(ここでいう「音楽する人」とは、何らかの具体的なかたちで音楽に関わりを持つ人のことである。「専門家」と「愛好家」の別は問題ではない)。ただし、ここで「基本的に」と言い、「全く」ではなく「ほとんど」という言い方をしている点に留意されたい。つまり、それが必要とされる場合も時にはある、ということだ。「ミニマ・エステティカ(最小の美学)」という書名はそのことを現している。そして、私は自身も「音楽する人」の1人としてそれを論じる。

 

 かつて小室直樹はこう喝破した。「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよろしい。それで国民が豊かになればよいのです」(村上篤直『評伝 小室直樹』下、ミネルヴァ書房、2018年、85頁) 。ごもっとも。だが、現在の政治家はそうではない。取るものだけ取っておいて、(一部の者たちを除いて)国民を豊かにしてくれていない。それどころか、どんどん貧しくさせている。ただし、そんな政治家を選挙で(投票に行かないことも含めて)選んだのは国民自身だということは忘れるべきではない。

 

2023年7月13日木曜日

中原中也の「春日狂想」

  中原中也の詩に「春日狂想」という名作がある(https://www.youtube.com/watch?v=0l2q18iG0zw)。これには松本民之助が曲を付けているが、そのユニークさは今日でも全く色褪せていない(Youtubeには音源はなかったので、お聴かせできないのが残念)。それは普通の意味での「歌曲」を逸脱した作品で、そののちの松本の独自な歌曲創作の出発点ともなったものだ。

 さて、中也の詩には「春日~」以外にも「秋日狂乱」と「夏日静閑」というものがある(冬日~)はないようだ)。これらの詩に誰かが付曲しているのならば是非とも聴いてみたいものだし、まだならば誰かが作曲してくれないかなあ(いっそのこと、そのうち自分で書いてみようかしら)。


2023年7月8日土曜日

八神純子の《パープルタウン》のキー

  ここ23日、ずっと気になっていたことがある。それは八神純子(1958-)の《パープルタウン》1980)のキーがFだったか、Gだったか、ということである。私はたいていの曲はキーとともに記憶しているのだが、《パープルタウン》の場合にはそれがあいまいになっていたわけだ。

 ちなみに、私は別に八神のファンでもないし、この曲も40年以上前に聴いたきりである。にもかかわらず、ふとそれを思い出したのは、リチャード・ローティの『ローティ論集:「紫の言葉たち」――今問われるアメリカの知性』(冨田恭彦・編訳、勁草書房、2018年)を読んでいるからだろう。つまり、「紫」繋がりである。

 ともあれ、もやもやは早々に解消した方がよいと思い、Youtubeで調べてみた。すると、キーはG(はじめはマイナーで、途中にメジャーに転調)であった:https://www.youtube.com/watch?v=QU1HW23n7pM。これですっきりである。のみならず、この曲を聴き直してみて、なるほど、やはり記憶の片隅に残るだけのものはあると思った。

 

 それにしても、ローティの思想には大いに心惹かれる。もう20年早く出会うことができていたならば、私の研究の方向も変わっていただろうと思わずにはいられない。

 前世紀末から10年近く、私は我を失って全く余計な領域に足を踏み入れてしまい、その間に学位論文を仕上げてはいるが、その続きで研究を進めることなく、不毛の年月を過ごすこととなった。

 ただし、それは今だからこそ言えることであり、当時は自分なりにそれでよいと思って進んだ道であった(その終わり頃にふとしたきっかけからフランス和声に興味を惹かれ、その繋がりで池内友次郎に関心を持ったことは、現在の自分にとって重要な問題である「西洋音楽の日本化」を考えるきっかけになっている)。それゆえ、その選択を後悔しているわけではないし、後悔すべきではないとも思っている。

 が、そのときにローティを読んでいれば早々に「目が覚めた」ことだろう。とはいえ、「もの皆時宜あり」というわけで、今の出会いを素直に喜び、今後に活かすことにしたい。

2023年7月4日火曜日

音だけを聴く方がいっそう刺激的?

  NHK-FMの「現代の音楽」で清水チャートリー《変態ビートル》(この「変態」はmetamorphosisの意なので、どうか誤解なきよう)なる作品を聴いてみた。そして、これがなかなかに面白かったのである。放送の解説によれば、それは一種のシアター・ピースだとのことで、そうなると音だけではなく演奏シーンを見てみたくなるのが人情というもの。

 幸い、その演奏に参加していた打楽器の會田瑞樹さんが動画の存在を教えてくれたので、さっそく視聴してみた(https://www.youtube.com/watch?v=_lLtSTmP3no)。なるほど、これも確かに面白い。ところが、何とも不思議なのだが、音楽としての刺激はむしろ音だけを聴いていたときの方が格段に強く感じられたのである。それはおそらく、想像力をかき立てられるからだろう。これはあくまでも私個人の感じ方にすぎないが、「音だけを聴く」場合と「映像も見る」場合の感じ方の違いについて、他の人の感想も聞いてみたいものだ

2023年7月2日日曜日

メモ(100)

  「志操堅固」は一般に褒め言葉だとされる。が、見方を変えれば、「融通の利かない頑固な人」だということにもなろう。では、現在のような動乱の時代にあっては、「志操堅固」は肯定的な意味を持つのか、それとも否定的な意味を持つのか? 

 

 これはよい:https://www.youtube.com/watch?v=D-CVRi0o-WU。 矢代秋雄の和声課題を演奏したものだが、立派な音楽である。このところこうした和声課題をYouTubeでアップしているものが増えており、そのこと自体は大いにけっこうなのだが、その大半がたんなるデータの「打ち込み」にすぎず、肝心の音楽を少なからず損なっているのが残念なところ。その点、このように実際に演奏したものは鑑賞に値する。