2021年3月31日水曜日

《春の祭典》の2台ピアノ用編曲の勧め

 ストラヴィンスキーの《春の祭典》には作曲家自身の手になるピアノ4手連弾版があるのは周知の通りで、近年は標準的レパートリーの仲間入りを果たしている(私の少年時代はそうではなかった。録音もほとんどなく、演奏会でもそれほど取り上げられる機会は多くはなかったろう)。管弦楽版とはまた違った魅力があり、ある面ではこの連弾版の方が面白いくらいだから、今日の人気ぶりも当然だと言えよう。

 ところが、この「連弾」版は1台のピアノで済ませようとしたために、随所に少なからず弾きにくいところがある。2台ピアノを用いればかなり問題は解消されるので、実際、そのように演奏されることも多い。

 が、作曲者が「1台ピアノ」という制約の中であれこれ行った工夫がもたらす効果は2台のピアノで「すっきり」と弾かれることで何かしら失われてしまうところもあろう。もし、初めから「2台ピアノ用」に書くのならば、たぶん、ストラヴィンスキーはもっと違ったかたちにしたのではないだろうか。

 そこで、この《春の祭典》の「2台ピアノ用編曲」をつくってみると面白かろう。連弾よりも奏者の自由が増すので、いろいろと工夫ができようし、もっと弾きやすくて効果的なピアノ音楽にできるはずだ。まあ、まだ原曲の著作権が切れていないので公開演奏には用いられないかもしれないが、私的な楽しみや学習用にそうした編曲をしてみるというのは悪くないことだと思う(とりわけ、プロを目指す学生にとっては)。

 

2021年3月30日火曜日

2人の尾高惇忠

  私にしては珍しく今年はNHKの大河ドラマを見ている。渋沢栄一が主人公ということで興味が生じたからだ。

 その劇中に尾高惇忠(1830-1901が登場する。栄一のいとこで(のちに義理の兄)、明治時代には実業家として成功した人物である。その名は知ってはいた(が、渋沢栄一と近い人だということはすっかり失念していた)。なぜか? 全く同名の作曲家の名にちなんでだ。先頃亡くなった尾高惇忠1944-2021)は大実業家の曾孫なのである。

 さて、その作曲家の方の尾高惇忠だが、実は私はさほど彼の作品を知らない。きちんと聴いたことがあるのは管弦楽のための《イマージュ》(1981)くらいだろうか。そして、持っている楽譜は1つだけで、それも楽曲ではなく和声課題集だ(『和声課題50選』、全音楽譜出版社、2010年)。ところが、昨年、たまたま書店で立ち読みしたピアノ曲集(https://www.zen-on.co.jp/score/sea_sound/)、がまことに面白く、俄にこの人の作品に興味が生じていたところ、今年になって亡くなったことを知ったのである。

 もし、彼がまだ元気だったら、もしかしたら曾祖父(渋沢も親類)のご縁で大河ドラマの音楽を担当することになっていたのかもしれない。なお、気になってドラマの主題音楽の指揮者を確かめたら、果たして作曲家・尾高惇忠の弟、尾高忠明(1947-)であった。

2021年3月29日月曜日

異次元にある世界との共振

  ベートーヴェンの晩年のピアノ・ソナタにしばしば現れる長いトリルやトレモロ。それを弾いたり、聴いたりしていると、まことに不思議な感覚に襲われる。いわば、異次元にある世界と共振しているかのような。件のトリルなどはその世界をはっきりと見せるのではなく、存在を朧気に、だが確実なものとして感じさせるのだ。もう少しベートーヴェンが長生きしていたら、果たしてその異次元をいっそう明瞭に示すことができただろうか?それとも、その入り口に佇み続けるしかなかっただろうか?