2021年3月25日木曜日

翻訳の読み比べ

 このところ、同一作品を複数の翻訳で読み比べて楽しんでいる。先日比べてみたのはカフカの短編で、ちくま文庫から出ている元東大の独文学者たちが訳したものと岩波文庫から出ている池内紀(彼も「元東大の独文学者」だが、明らかに訳の文体や方針が異なる)のものだ。原文を確認していないのだが、前者の訳がいかにも「学者」によるきっちりとした「仕事」であり「研究成果」のようなものなのに対して、後者は「文人」の手になる「文学作品」であった(さすがに関口存男の評伝を書くほどの人だけに、「達意眼目」で訳してみせている)。原文を横に置いてお勉強をするには前者のものが便利だろうが、訳文だけを読むのならば、断然後者の方がよい。

今読んでいるのはグリム童話集で、やはりちくま文庫から出ている野村泫の訳と講談社文芸文庫から出ている池田香代子の訳によるもの。これはいずれもこなれた日本語に訳されており、何の抵抗もなく楽しく読める見事な訳だ。それゆえ、どちらを選ぶかは(先のカフカの場合とは異なり)、読者の「好み」の問題となる(この意味で、古典名作には複数の翻訳があってしかるべきだ)。

文学作品であるなしを問わず、翻訳は日本語として普通に読めるものがよい。「原文を参照したくなる」箇所が多い翻訳はいわば欠陥商品と言ってよかろう。その意味では上記のちくま文庫のカフカの訳は決して欠陥商品ではないが、良質の商品とは言えないと思う。些か読みづらいのだから(ドイツ語がものすごくできる訳者たちは、原文の文体や表現を極力忠実に日本語に移し替えようとしたようだが、日本語の文面から判断するに、たぶん、それはあまりうまくいっていないのではないか)。邦訳の質はやはり「日本語」の文章として評価・判断されるべきものであろう。

……おっと、今、天に向かって唾を吐いてしまった。これまで自分が手がけた翻訳では「普通に読める」訳文づくりを目指したが、一仕事終えてみて、いろいろと反省させられる点も少なくない。それは(いつあるかわからない)次回に活かすことにしよう。