2021年3月14日日曜日

メモ(38)

 HIPhistorically informed performance)の流儀による大バッハの演奏は、いわばラテン語や古いドイツ語のテキストを同時代の文語文で翻訳するようなものだといえようか。他方、たとえばそのバッハのチェンバロ曲を現代のピアノでいかにもピアノ音楽らしく弾くやり方は、いわば現在普通に話されている口語文への翻訳なものだといえよう。そして、そのどちらにもそれぞれに意義がある。『源氏物語』を原文で読んで味わう人もいれば、現代口語訳で読んで楽しむ人もいるように。