2020年8月31日月曜日

「名曲」の十分条件

  広く認められている「名曲」の条件としては「作品がよくできている」というのは必要条件ではあっても十分条件ではない。では、その十分条件は何か。それは演奏者なり聴き手なりが自分のレヴェルに応じて作品を楽しめるような「間口の広さ」を持つことだ。「わかる人にしかわからない」だけでは、いかに凄い作品であっても「名曲」にはなれないのである。

 たとえば、ベートーヴェンの第9交響曲。これは実のところ何とも複雑で、そう簡単に音楽のありようをつかめる作品ではない。それこそ、かなり西洋音楽のことがわかっている人にとっても組み尽くせない内容を持っているのだ。が、だからといって、さほど音楽に詳しくない人でも十分に楽しむことができるものでもある。それこそ「歓喜の歌」を口ずさむだけであったとしてもだ。

 「名曲」を楽曲分析し、その内容を説明することは訓練さえ積めば、そう難しいことではない。が、上で述べたような意味での「名曲」の「間口の広さ」の内実、つまり、「名曲の名曲たる所以」をきちんと説明することはそう簡単ではあるまい。

2020年8月30日日曜日

メモ(13)

  行為論、あるいはプラグマティクスを土台に音楽美学を再構成すれば、従来の問題のうち少なからぬものが「擬似問題」として消去できるか、さもなくば、(決して「本質論」などではなく)特定の実践に関わる局所的かつ限定的な問題として整理でき(て、実践にとってもっと有意義なかたちで利用でき)るだろう。

 

2020年8月29日土曜日

バルトークのバッハへのオマージュ

  バルトークの《無伴奏ヴァイオリン・ソナタ》(https://www.youtube.com/watch?v=VtdCRPglq-g)はまず間違いなくJ. S. バッハへのオマージュである。第1楽章が「シャコンヌのテンポで」、第2楽章がフーガとなれば、どうしたってバッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタやパルティータを思い出さないわけにはいかない。

だが、私がもっとも強く「オマージュ」を感じるのは第1楽章の最初の和音だ。これはバッハのト短調ソナタ冒頭と同じものをバルトークが意図的に置いたのではなかろうか。ただ、バッハの場合には音はなだらかに下がっていくのに、バルトークの方では初めは下がるもののすぐに向きを変えて力強く上がっていくのだ。何とも強烈な意志の力がそこに感じられる。

以前、某ヴァイオリニストがこのソナタを弾くのを間近で聴いたことがあるが、これは本当に素晴らしかった。もうこれ以上実演で聴く必要を感じないほどに。