ハイデガーが『言葉についての対話』で述べている論法に従えば、欧米人にとっての‘music’と日本人にとっての「音楽」は別ものだということになろう。なるほど、それは一見些か乱暴な話に思われるが、そこには一片の真実が含まれていないでもない。(何度も繰り返しこのブログで述べていることだが)両者は話している言葉もそれが紡ぎ出す思考の様式もかなり異なるのだから。
そこで、仮に自分が西洋音楽の学生向けに音楽美学の講義をするなり、あるいはその教科書(風の読み物)なりを書くとすれば、まずは‘music’と「音楽」の違い、精確に言えば、微妙な(しかし、決して近くはない)隔たりから説き始めるだろう。そして、その後も具体的な問題を論じる際に随時、その隔たりに注意を向けさせるとともに、それと「どうつきあっていくか」を考えることを促し続けるだろう。