2020年8月3日月曜日

1つの可能性

 たとえば、東京や大阪、あるいは京都や名古屋で1人のピアニストが「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会」をしたところで、これは少しも珍しいものではなかろう。もちろん、それはどんなピアニストにとっては一大事業だが、聴き手にとっては、「よくある演奏会」の1つにすぎまい(なお、これはあくまでも一般論であって、ピアニストとファンの間にしかるべき結びつきがある場合は別である)。

が、地方ではそうではあるまい。全国の県庁所在地に限っても、同様な演奏会が催されたところが果たしてどれだけあるだろうか(これは調べてみたら面白かろう)。たぶん、ほとんどないのではなかろうか。すると、もし、今(いや、それはさすがにまずいか……。であれば、コロナが収まったときに)、そうした演奏会を催せば、「一大イヴェント」たりうるだろう。もちろん、ベートーヴェンに限らない。どんな作曲家であれ、どんな楽器(声も含む)のためのものであれ、「名曲」とされるものであっても、地方では実演で接するのが難しい作品はまだまだあるはずだ。

 それはつまり、地方ではまだそうした作品の実演の需要を創出できるかもしれない、ということだ。そして、この点で地方の音楽家には都会とは違った活動の仕方、可能性があることにならないだろうか。「演奏会」といっても、何も立派なホールでやる必要はなく、こじんまりした場所でかまわない(むしろ、こんな時代だから、あまりお金のかからないかたちがよかろう)。企画としてそれまでになかったようなもので、かつ、聴き手に何らかのニーズのあるものを探り出し、提示すれば、それを喜んで受け入れる聴き手は(多くはないかもしれないが)いるのではなかろうか(と、元地方在住者の私は思う)。