2020年8月21日金曜日

随分久しぶりに《惑星》を聴く

  グスターヴ・ホルスト(1874-1934)には私はさほど興味はないが、なぜかごくたまに作品を聴きたくなる。《惑星》がなんと言っても有名だが、私が好むのはむしろ民謡調のひなびた音楽の方、つまり、吹奏楽のための2つの組曲や弦楽合奏のための《セントポール組曲》等々だ(実のところ《惑星》の土台もまた、まさにそうした「民謡調」であるが……)。

 とはいえ、今日随分久しぶりに聴いたのは《惑星》である。少年時代にはスコアを購うほどに好んだが、いつしか疎遠になってしまった。が、だからこそ、ごくたまに聴くと素直に楽しめる。

 その《惑星》のスコアだが、それを購ったのは半ば偶然による。つまり、当時住んでいた金沢市内で輸入楽譜を置いていたヤマハのショップにたまたま入っていたからなのだ。1980年代前半、もちろん、インターネットなどはなく、地方では音楽関係でも「輸入」品はそうそう自由に入手できるものではなかった。注文することはいちおうできたのだが、自分で手にとってもみない安からぬ楽譜やレコードにはそうそう手が出なかった。そこで、どうしても店頭にあるものについ目が行ってしまう。《春の祭典》もベルクの《ヴァイオリン協奏曲》のスコアなども当時そうして購ったものである。

 だが、それではやはり限界がある。そこであるとき、雑誌で広告を見た輸入楽譜の通販を思い切って利用してみた。その頃、金澤(当時は「中村」)攝さんがアルカンの《短調による12のエチュード集》を日本初演したのを聴き、どうしても楽譜が見たくなって(当時はまだ攝さんとは面識がなかったので)、大阪のササヤ書店に注文したのである。1984年のことだった。以来、何度もここを「通販」で利用したが、まさか後年(ちょうど10年後に)、自分が大阪に住むことになり、店舗で直接楽譜を手に取れるようになるとは思ってもみなかった。

 

 「劇作家」(とインターネットのニューズでは表記されていた)の山崎正和氏が亡くなったとのこと。私はさほど氏の著作には興味はなかったのだが、今年たまたま読んだ御厨貴・他編『舞台をまわす、舞台がまわる――山崎正和オーラルヒストリー』(中央公論新社、2017年)がとても面白かったので、他の著作も読んでみたいと思っていたところだった。

 山崎氏といえば、私には1つ恥ずかしい思い出がある。大学院の博士前期(修士)課程に入学直後(まさに、上で述べた「ちょうど10年後」のことである。まさかその翌年にあのような大きな地震に遭うことになろうとは……)、当時の指導教員の渡辺裕先生から驚くべき言葉を聞かされたのだ。「君の答案を採点した山崎先生から『字が汚くて読みづらかったので、本人に注意しておいてくれたまえ』と言われたよ」と(入試では「語学」「専攻分野」「芸術学」の3つの問題が課され、最後のものを山崎氏は採点したわけだ)。いや、何ともお恥ずかしい限りである。