今から四半世紀ほど前に自分が書いていた文章を見ると、ひらがなが実に多い。当時の論文から適当に拾い上げてみると、「かんがえる」「みる」「きく」「しかた」「かぎられない」……といった具合である(こうした当時の私の表記に大きな影響を与えていたのは梅棹忠夫の文章だ)。こうすると文章が複雑になりすぎるのを防ぐことができるので、修行のつもりで敢えて「ひらがな」を多用していたのである。
ところが、これが周囲にはあまり評判がよくなかった(中には「稚拙だ」と言う人もいた。自分ではそうは思わなかったが)。だからというわけでもないが、少しばかり文体を変えてみたいと思い、その後、用いる漢字の量を増やしてみた。すると、こちらの方がいくらか文章を書きやすいので、以来、そのスタイルを守っている(多少、用いる漢字の増減はあるものの)。
とはいえ、今の用字法や文体に満足しているわけではない。もっとすっきりしたものに変えたいとずっと思い続けているのだ。そこで、構想中(というのも、まだ翻訳にけりがついていないので(涙))の『音楽の語り方』で用字法・文体改造の実験をしてみるつもりだ(そこには「註」もつかない)。そのことによって新たなアイディアが浮かぶかもしれないことも期待しつつ。