2020年8月4日火曜日

(昨日の続き)

私が昨日のようなことを話題にするのは、1つには地方出身でUターンをした音大卒業生のことを考えているからだ。それなりに勉学を積み、技量を身につけていながらも、それを活かすことのできない人たちが少なからず地方にはいるはずだが、それは「もったいない」ことだと思う。当人にとっても、周囲にとってもだ。

都会(や世界)のこと(言い換えれば、「業界の一元的な価値観や基準」)など気にせず(都会の「縮小再生産」のようなことなど考えず)、自分が暮らす場で、そこで何らかのかたちで受け入れられ、何かしら意味を持つ活動ができればよいわけだ。もちろん、それだけで生活していけるようなことはあまりないだろうが(しかし、全くないとも言い切れない)、それでも「音楽を続けたい」人にとっては自分の人生を1つの点で有意義なものにできるだろう。そして、それはいろいろな音楽に「生」で触れたい聴き手にとってもまことに有意義なことであろう(都会までわざわざ高いお金を払って音楽を聴きに出かける必要が減る/都会からわざわざ高いお金を払って音楽家を呼ぶ必要が減る、という意味でも)。

そうした「活動」を繰り広げるには、しかるべき(ドラッカーが説く意味での)マーケティングとマネジメントが必要だ(その点、インターネットをうまく活用しない手はない)。なるほど、それはそう簡単なことではないかもしれないが、たぶん、今や(都会・地方の別を問わず)「音楽家」として生きて行く上でそれは必須のスキルであろう。そして、たぶん、たんに「演奏をする」だけでは味わえない喜びや楽しみ、充実感がそこでは得られるはずだ。