三善晃(1933-2013)は少年時代、作曲の師、平井康三郎(1910-2002)からカデンツについて説明されてとき、「そんなことはもう知っているよ」と感じたという(『波のあわいに――見えないものをめぐる対話』(春秋社、2006年)の中で述べられていたエピソードだが、私は同書を所持していないので正確な引用ができない)。これは別に三善ほどの才能がない、ごく平凡な者でも十分持ちうる感覚だろう(私もそうだった。中学生の頃に見よう見まねで書いた曲にはきちんとカデンツがあった)。そうした者は、母語を意識せずとも身につけるのと同様に、西洋音楽の「言葉」の初歩を身につけているわけだ。
だが、それには最低必要限度の「環境」が整っている必要があったろう。すなわち、いつの間にか知らず知らずのうちにそうした感覚が育ちうるほどに西洋音楽に触れられるだけの環境が。たぶん、明治初期に西洋音楽を学び始めた者たちにとっては、そうした感覚は自然に生まれるものではなく、あくまでも「学び」取る必要のあるものだったろう。
では、いったいいつ頃から、カデンツのような西洋音楽の言葉(の初歩)について、意識的に学ばなくとも「もう知っているよ」と感じる日本人が現れだしたのだろうか。これはさすがに正確なことは調べようがないが、昔の音楽家の文章を調査したら、いろいろと面白いことがわかるかもしれない。
また、現在、義務教育では音楽は必修だが、小・中学校と音楽科教育を受けた者にどの程度、カデンツなどの「西洋音楽の言葉」が感覚として身についているのか調査したら、果たしてどのような結果が出るだろうか。これには大いに興味がある。