2020年8月26日水曜日

カサドシュの過不足ない表現

  ロベール・カサドシュ(1899-1972)の演奏をラヴェルは高く評価していた(弟子のマニュエル・ロザンタールの証言による)。今日普通に聴かれるラヴェル作品の演奏に比べれば、かなり素っ気なく聞こえる演奏である。が、よく聴くとその表現が過不足ないものだということがわかる。逆に言えば、現代のピアニストはあれこれ「やりすぎ」だということになろうか。

 もちろん、作曲者が作品の最良の理解者・解釈者だという保証はなく、演奏家が作品に新たな光を当て、いわば「作品を成長させる」ということはいくらでもありうる。それゆえ、現代の解釈にも何かしら意味があるわけであり、「作曲者の流儀とは違う」などと切り捨てるのは間違っていよう。

 とはいえ、作曲者がお墨付きを与えた演奏の録音が聴ける以上、それを参考にしない手はない。現在の流儀とはまた違った演奏を生み出すヒントになるはずだから(ところで、学生と話していると、「私は他の演奏家の演奏はあまり聴かない」と言う人が時折いるが、これはもったいないと思う。優れた演奏はまたとない教材であり「師」なのだから)。

 ラヴェルはカサドシュのモーツァルトも絶賛しているが、これもまた何とも飾り気のない演奏である。が、絶妙のバランスが取られた演奏であり、まことに大きな説得力を持っている。こうしたものは余人にはなかなか真似できないものであろう。それは多分にカサドシュが作曲家でもあったことと関係があるように思われる。