2020年8月28日金曜日

難解な文章を「重訳」すると……

 「カントの文章は(難しい邦訳よりも)英訳の方が読みやすい」という意見を何度か聞いた(目にした)ことがある。そうかもしれない。1つには普通の語彙で訳されているということ(多くの邦訳はそうではなく、「業界用語」で訳されている)があろうが、もう1つには翻訳というものに対する英米人の「実用主義」があろう。すなわち、杓子定規の「原文への忠実さ」よりも「読みやすさ、わかりやすさ」を重視する姿勢の賜物だというわけだ。

 では、その「英訳版」カント(なお、カントはあくまでも1つの例にすぎず、同様な文学作品以外の「難解」な文章ならば他のものでもかまわない)文章を哲学業界以外の文学畑の翻訳家が訳したらどうなるだろうか? こうした「重訳」は一度やってみたら面白いのではないだろうか。「超訳」ならぬ「重訳」カント!

 同じことを日本人の書いた難解な文章にも試してみたらよかろう。すなわち、まず、日本語が堪能な英米人に日本語原文を「できるだけわかりやすく」という条件で訳してもらい、それを日本の翻訳家に訳してもらうというふうにするのだ。このやり方で、たとえば廣松渉や吉本隆明などの文章がどうなるか、私にはかなり興味がある。

 

 このところすっかりカサドシュの音楽に引き込まれている。どれを聴いてもとにかくそれぞれに見事で面白い。

 「作曲家」カサドシュの作品ももっと聴けるようになると嬉しいが、これは今後に期待したい(そのカサドシュの佳曲《トッカータ》: https://www.youtube.com/watch?v=QPy82zywukg。演奏は不慮の事故死を遂げた息子のジャン・カサドシュ)。