昨日話題にした「私的演奏協会」方式とはすなわち、既存の演奏会の枠組みの外で、当事者同士の横の繋がりの中で運営される自給自足の音楽会のことに他ならない。
たとえば、次のような例はどうだろうか(あくまでも架空のものだが)――まだベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏がなされたことのない地で、その実演を望む人たちがいる。そして、そこには演奏会の経験こそあまりないものの、十分にその全曲演奏をこなすだけの力量を持つピアニスト(たち)もいた。しかしながら、「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会」を開くには経費と集客の点で問題があるのが普通だ。そこで、「聴きたい人たち」が「ピアニストたち」を誘って「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を楽しむ会」なるものを立ち上げる。完全会員制で会の運営の仕方は参加者全員で最初に話し合いをして決める。運営費用は会費でまかなうので、会場も普通のホールではなく、ピアノを備えた公民館などのあまり費用のかからない場所を選ぶ。そして、演奏者への謝礼の額も最初の「話し合い」で「聴きたい人たち」と「ピアニスト(たち)」の双方が納得のいくかたちに決めておく。「会」ではたんに演奏を「聴かせる/聴く」だけではなく、会員同士の交流も大切にする――。
この(架空の)例では「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲を聴く」ことを望む人たちが会の発案者となっているが、それが逆に演奏家(や作曲家)の側であってもいっこうにかまわない。「自分は○○の音楽を演奏(発表)したい」ということを示して会員を募ってもよい。ただ、いずれの場合にせよ、「聴き手」と「演奏家(作曲家)」の立場は「会」の中では対等であり(もちろん、「演奏(作品)」を提供する演奏家(作曲家)には対価が支払われるべきではあるが)、ともによりよい会の運営に尽力する必要がある。
さて、こうした「私的演奏協会」方式は「所詮、絵空事だ」と一笑に付されるだろうか? 私はそうは思わない。必ずしも「一流」ではないかもしれないが一定の水準で演奏(作曲)をこなせる音楽家がそれなりに全国に(潜在的に)おり、また、既存の演奏会では満たされない想いを少なからぬ(「演奏会」の実現にはなかなか至らない)音楽家と(自分が本当に聴きたいものになかなか触れられない)聴き手の双方が抱いているとすれば、この「私的演奏協会」方式は都会でも地方でも成り立つ可能性はあるのではなかろうか。