楽曲分析とは結局は「解釈」の一形態であり、ということは完全に客観的なものなどありえず、「分析者(たち)が見たいと思っているものを見る」作業に他ならない。それはアドルノが音楽作品に対して行ってみせる「観相学」の場合も変わらない。もちろん、彼がマーラーや新ヴィーン楽派などの作品で行う見事な分析からは教わるところが多いが、それは作品に向き合う各人にとってあくまでも1つの「ヒント」にすぎない。
さらに言えば、アドルノの場合、音楽(作品)は彼が語りたいことの「ネタ」にすぎないのではないかとの疑念を私はあるときからどうしてもぬぐえないでいる。「音楽をネタにする」ことが悪いというのではない。それで独自の思想を展開できるのであれば、大いにけっこうだと思う。が、それでも彼がある音楽について肯定的に語るときはともかく、否定的に論難するときの語りには辟易させられることが(私には)少なくない。それはたぶん、彼が論難の対象に誠実に「観相学」を実践しているのではなく、いわば自分の論のためのスケープゴートにしているように感じられるからだろう。
とはいえ、それでもアドルノが私にとって(昔ほどではないにしても)何かしら興味を惹く人であることに変わりはない。彼の音楽論の魅力と限界、そして、功罪をうまく解き明かしてくれるような書を誰か書いてくれないだろうか。こうしたことができるのは、アドルノの威光がもはや及んでいない、ある程度若い世代の人だと思うが……。