ご存じの超有名曲が次のように料理されているのを聴いて、人はどう感じるだろうか?:https://www.youtube.com/watch?v=qq8leJ6XLbI。
たぶん、反応はいろいろだろう。私の場合は「あはは、面白いなあ」であり、「うむ、よくできている」である。これに眉をしかめる人もいようし、「しょーもない」と感じる人もいよう。まあ、それは人それぞれ。
さて、こうしたアレンジは1980年以降に「現代音楽」作品で目につくようになってきた「換骨奪胎的作品」と何ら変わるものではない。そうした「作品」はもっともらしい理屈をいろいろつけてはいるものの、要は「遊び」である。こう言うと、そうした「作品」のことを馬鹿にしているように思われるかもしれないが、そうではない。「遊び」を私はむしろとても好ましく思っているのだ。そこには「真面目」一辺倒ではどうにもならないものを打ち壊し、新たな光や風を呼び込むものがあるからだ。もちろん、すべての「遊び」がそうだというのではないが、そうした可能性を「遊び」が持つことは見過ごせない。
そういえば、今日は三島由紀夫のあの事件の日だ。何とあれから半世紀である。私が三島を読み始めたのは、まだ事件から10年経ったか経たないかの頃だったから、それから40年ほどが経過したことになる。時の経つのの何と速いことか。そして、その間の世の中の移り変わりも。たぶん、その頃よりもいろいろな面で世の中はかなり悪い方向へ進んでいると思われるが、必ずしもそれだけではなかろう。 「危機は好機」である。