2020年11月20日金曜日

『unit 4/4(ユニット・カトルカール)』の「伊左治直×F. プーランク」

 昨日予告した通り、昨晩の演奏会、『unit 4/4(ユニット・カトルカール)』(太田真紀(ソプラノ)、碇山典子(ピアノ)、新美桂子(朗読)、伊左治直(作曲))による「伊左治直×F. プーランク」(於:酒心館ホール)の感想を(演目については次の画像を参照)。


 

 伊左治さんの作品にはこれまでにも魅せられてきたが、歌曲は聴いたことがなかった。この日歌われた歌曲にはどれも調性があり、素直な旋律線を洒落た和声が彩る、いたってノーマルなものばかり。だが、いずれも実に魅力的であり、しかも、それまで私が聴いたことのある彼のもっと「現代音楽」的な作品と並べても何の違和感もないところがよい。つまりは、伊左治さんは自分の書きたいものをごく自然に書いているということであり、だから聴く方としてもすっとそこに入っていけるのだ。そして、そうした歌曲を楽しみながら、精緻だが控えめな表現の中で言うべきことをずばり、しかし決して押しつけがましくなく言ってのけるさまに、何か「ダンディズム」のようなものを感じずにはいられなかった。

そして、そうした「ダンディズム」(という言い方は必ずしもよくないかもしれないが、それに似たもの)はプーランクの音楽にも共通するものであろう。そして、それをソプラノの太田さんとピアノの碇山さんは見事に味わわせてくれた。これまで太田さんの「現代音楽」作品での見事な歌いぶりを何度か楽しませてもらっているが、こうした非・現代音楽でもその技と芸にはうならされる。また、碇山さんはピアノ独奏曲も弾いたが、彼女の演奏は大阪人が言うところの「シュッとしてる」体のものであり、まさにプーランクと伊左治作品にはぴったりのピアニストである(ちなみに、碇山さんはプーランクのピアノ独奏曲全曲を録音しており、私は愛聴している)。

この日、朗読を担当した新美さんは伊左治さんの新作《港町パ・ド・ドゥ》の作詞も行っているが、いわゆる「曲先」で言葉を後からつけたものだという。が、その言葉選びが実に面白く、音楽の雰囲気にうまく合わせつつ、不思議な情景を浮かび上がらせていた。次はこの人の曲や演奏も聴いてみたいものだ。

ところで、この日の会場、酒心館ホールは昔に酒蔵だったところを再利用したところである(昨日のリンク先を参照)。アクセスが些かよくないが、それを補って余りある「雰囲気」を持つ場所だ。私は元々、普通の演奏会場の「密」な雰囲気が苦手であり、しかも、今のコロナのためによけいにそうした場所から足が遠のいていたのだが、その点、今回の会場は実に心地よかった。そして、そんな場所で素敵な音楽を聴かせてくれた作曲家と演奏家の方々に心から感謝を。