種々の証言が示しているようにシェーンベルクは人としてはなかなかの難物だったようだ。とにかく、頑固一徹で自分が絶対に正しいと信じて疑わない(ある知人がシェーンベルクの筆跡鑑定をその道の達人にこっそり依頼したところ、「この男は自分を中国の皇帝だと思っています」との結果が……(ジョーン・アレン・スミス(山本直広・訳)『新ウィーン楽派の人々――同時代人が語るシェーンベルク、ヴェーベルン、ベルク』、音楽之友社、1995年、198頁)。
ところが、その「頑固さ」は決して何かの「狂信」ではなく、自分の流儀と異なるものでも「よい」ものはよいと認めるだけの度量の広さがシェーンベルクにはあった。たとえば、ガーシュウィンを高く評価し(彼は「テニス友だち」でもあった)、チャイコフスキーに対して「おお、何と驚くべきシンフォニストだろう――このオーケストレーション――このオーケストラの響かせ方!」と賛辞を惜しまない(前掲書、127頁)。そして、そうしたシェーンベルクの態度は彼自身の音楽作品にも何かしら表れているように私には思われる。厳しい音楽ではあるが、「芸術は万人のものではありません」などと本人が言うほどには必ずしも排他的ではない――と、最近シェーンベルク作品をいくつかを聴いていたとき、ふとそう感じた(それに比べると、「シェーンベルクは死んだ」と若き日に威勢よく言い放った御仁の音楽(や思考)の方が格段に排他的だと思われる)。