2020年11月26日木曜日

演奏実践としての楽譜の「書き換え」

 演奏の難しい楽譜を演奏家が「読みやすい」よう、「弾きやすい」ように書き換えるというのは珍しいことではない。この「書き換え」にはさまざまなレヴェルのものがあるが、基本的には音自体は変えずに(場合によっては聴き手にばれない範囲で音を削って)、演奏を容易ならしめ、楽譜が示す構想や「鳴り響き」をきちんと実現しようとするものだ。

 それは決して「ごまかし」ではなく、実際、演奏家が編集したあれこれの「実用版」楽譜で公開されているものも少なくない。が、あくまでも「裏技」として隠しておきたい演奏家もいよう。たとえば、ロバート・クラフトが《春の祭典》で行った書き換えは、そうしたものだったろうと推察される。

 そのごく一部が示されているのが、次のものだ:ジョン・マウチェリ(松村哲哉・訳)『指揮者は何を考えているか――解釈、テクニック、舞台裏の闘い』、白水社、2019年(ちなみに、同書は実に面白い)。その75頁に書き込みがなされた楽譜があげられており、こう説明がついている。「練習番号四十六から四十七を見ると、もともと常に拍子記号が変化するかたち(変拍子)で記譜されていた八小節が、すべて三拍子の四小節というシンプルなかたちに書き換えられている」(同書、75頁)。たぶん、これは大きく評価が分かれるのではなかろうか。つまり、「なるほど、うまいことやったものだ」というものと、逆に「いくら何でも手抜きだ」というものに。

もちろん、実際に出てくる鳴り響きが「それらしく」聞こえれば全く問題はないのだが、さて、どうなのだろう(おそらく、こうした書き換えをクラフトは《春の祭典》の随所で行っているのではないか)。あくまでも私個人がクラフトの録音を聴いて抱いた感じからすれば、この書き換えはあまりうまくいっていないと思う。つまり、元々の作品が持っていた刺激が何かしら失われてしまっているようなのだ(逆にクラフトの演奏に好感を抱く人もいよう)。が、むしろそのことで、クラフトが他の箇所で行った(に違いない)書き換えにも大いに興味がわいてくる。1つの演奏至難な楽譜に対する「演奏実践」の事例として。こうした「裏技」を集めて比較検討したら面白かろう。