2020年11月12日木曜日

市川都志春の交響曲

  小学生時代、音楽の教科書の裏表紙にあった「市川都志春」という名前に目がとまった。「都志春」という字面が珍しかったのである。まだピアノを習い始める前で、それほど音楽に関心があったわけではないのに、この名前だけはしかと記憶に焼き付いた(ちなみに、「矢代秋雄」の名を私が初めて見たのも音楽の教科書か、副教材の中だったと記憶している。やはり「秋雄」という字面が印象に残ったのである)。

 やがて音楽のみならず作曲に興味を持ち始め、日本の作曲家のことも少しずつ知り始め、その中で「市川都志春」氏の名に再び出会う。が、当時は「現代音楽」に関心があったので、あまり「昔の」人のことは気にならなかった。ただ、このとき、氏が「教科書」の編集者に留まらず、交響曲なども書く人だということを知ったのである。

 さらに時は流れ、「現代音楽病」も癒えて、「音楽には古いも新しいもなく、あるのはただ良いか悪いかだけだ」ということにようやく気づき、「昔の」日本の作曲家の作品にも興味を覚えるようになった。が、そのときには「興味の対象」があれこれ生まれ、市川都志春のことはどこかへいってしまった。

 ところが、昨年だったか、大学の図書館の書庫で楽しくあれこれ物色していたところ、その市川都志春の大作《日本旋法を基調とした交響曲》(1977)の楽譜を見つける。氏は1912年生まれなので同作は60代に書かれたことになるが、教科書会社経営の中でも作曲家としての志を貫いていたわけだ(なお、同作の出版は氏が経営していた教育芸術社)。この交響曲についてはいずれゆっくりとスコアを読んで見たいと思っている(ちなみに、出版後、作曲者は大きく改訂作業を行ったとのことだが、その新版は未刊のようだ)。

 市川都志春の作品をYou Tubeで検索したが、残念ながら交響曲はヒットしなかった。そこで次のものを:https://www.youtube.com/watch?v=ef-Eu2WG4iM。これは私もおぼえていた曲だ。どことなくロシア民謡を思わせるところがある。

 この市川に限らず、昔の日本の作曲家には「音楽科教育」に深く関わった人がそれなりにいたのだが(諸井三郎、松本民之助、等)、そうした人たちのことをまとめて詳しく調べたら面白いと思う。