2020年11月27日金曜日

メモ(23)

 「言語と音楽の関係」というのは、私が近年もっとも強い関心を抱いている問題の1つだ。「日本語と(欧米諸語の音と思考形態が土台にある)西洋音楽の関係」は日本人の西洋音楽受容において絶対に避けて通れない問題のはずなのに、これがきちんと追求されていないのはどうしたわけだろう。

そして、それに関連してもう1つ気になることがある。それは「一神教」の西洋世界とそうではない日本との精神風土の違いだ。西洋音楽の根本にはやはり一神教の考え方や感じ方が染みついているに違いなく、それを「八百万の神」の(つまり、信仰の原理と形態がおよそ異なる)日本人がそのまま受け入れられているとは思えない。そして、この点もまた……。

だからといって、私は何も「日本における西洋音楽受容は間違っている。日本の西洋音楽は紛い物だ」などと言いたいのではない。異なる文化圏の文物を取り入れる際には、そこに何かしら「変換」が生じるのは当然のこと。「日本化された西洋音楽」で大いにけっこうではないか。別に「本場物」に対して引け目を感じる必要はない。が、両者の「違い」をある程度は弁えておく必要があるとは思う。己(たち)自身を知るために、そして、異文化間コミュニケーションのためにだ。