2020年11月1日日曜日

メモ(21)

  音楽作品の分析を「その音楽が実際にどのように聞こえるか」ということを中心に行ったら面白かろう(とりわけ、20世紀以降の作品では)。たとえば、アントン・ヴェーバーンの曲などでは、音列などはあまり気にせず、とにかく耳でとらえることのできる「音の出来事」とそれが織りなすドラマを描き出し、分析・評価する、というふうに。もちろん、楽譜は必要だが、あくまでも「耳」にとってのガイドという位置づけにとどめ、「聞こえるもの」を重視するのだ。すると、何が見えて(聞こえて)くるだろうか?