全く隙なく構成された音楽作品というのは、そうそう長時間聴いていられるものではない。ある程度の長さを持つ作品には何かしら「冗長さ」が必要であろう。そして、大作で「名曲」だとされるものは、この「冗長さ」を実に巧みに使いこなしている。
そこでふと思ったのが三善晃の初期の作品だ。《ピアノ・ソナタ》などはまことに緊密に隙なく構成されているのだが、反面、どこか「詰め込みすぎ」という感じを受けてしまう。たぶん、三善は「冗長」な部分を書くのに耐えられなかったのではないだろうか。名作《管弦楽のための協奏曲》は演奏時間にして10分ほどだが、この短さには彼なりの必然があったのだろう。