少なくとも西洋音楽で「よい旋律」とはどのようなものかを説明するのは難しい。というのも、旋律だけで楽曲ができているわけではなく、楽曲がどのようなタイプの構成を採るかによって、旋律のありようも変わってくるからだ。
たとえば、ブラームスのヴァイオリン協奏曲第1楽章第1主題の旋律だけをメンデルスゾーンの同曲同主題と比べてみれば、一見、後者の方が魅力的に見える。が、楽曲全体として見れば、前者のありようがいわば必然的なものである――つまり、それが「よい旋律」だということ――ことがわかる。このような構成の音楽にメンデルスゾーンの同曲のような主題を持ってくるわけにはいかないのは明らかだ。
となると、「よい旋律」の説明は個別の具体的な楽曲に即したものであらざるを得ない(もちろん、一般理論などつくれるはずもないが、そもそもそんな必要などあるまい)。そして、旋律以外の構成要素にも目を向けつつ、楽曲全体の中で旋律がどういう役割を担っているかをとらえる必要がある。
もっとも、「よい聴き手」ならば、わざわざそんなことを言葉にして説明するまでもなく、音楽からそのことを聴き取っていることだろう。