2024年8月21日水曜日

現実直視

  日本では「巨匠」とされていたある指揮者が海外の某都市でタクトを執った。日本の雑誌には現地での反応も含めての絶賛の評が載る。ところが、実はこれが「嘘」だったというから驚きだ。なぜ、それがわかるかというと、同じ演奏会を松本清先生がたまたま聴いていたからだ。先生曰く、「客の入りは悪かったし、途中で退席する人もそれなりにいた。そして、残った聴衆は絶賛などしていない」とのことである。件の評論家はなぜ、正直にそのときの状況をリポートしなかったのだろうか? このインターネット時代にはさすがにこうしたことは起こりにくいとは思うが、この国の「大本営発表」的報道の伝統を思えば、完全に安心することはできまい。

 ところで、日本では「名手」だとされる演奏家が海外で酷評されたとき、それは「人種差別」の現れだとみなす人がいる。なるほど、そうしたことも時にはあるだろう。が、全部が全部、そうではあるまい。そうした酷評の中には真実を述べているものもそれなりにあるのではなかろうか。

 なお、私はその「巨匠」や「名手」たちがいい加減な演奏をしたとは思わない。たぶん、ベストを尽くしたのだろう。だが、残念ながらそれが向こうの聴き手に伝わらなかっただけなのだ。では、なぜ、そうなるのか――日本が西洋音楽を受容してそれなりの歳月を経た現在、こうした問題にもっときちんと向き合ってもよい頃ではなかろうか。