2024年8月5日月曜日

「ダヴィデ同盟ごっこ」

  R. シューマン(1810-56)は1850年代に若き日のピアノ曲をあれこれ改訂している。中にはピアノ・ソナタ第3番のように大きく改められたものもあれば、《ダヴィデ同盟舞曲集》のようにあまり手を加えていないものもある。いずれにせよ、「改訂」は必ずしも「改良」だとは限らないが、このシューマンの場合にはどうなのだろうか?

 さて、その《ダヴィデ同盟舞曲集》で目を惹くのは音の変更よりもむしろ、それ以外の変更である。すなわち、初版の冒頭に掲げられていた古い格言と各曲の末尾に記されていた「F.」や「E.」という記号の削除だ。とりわけ、後者は重要な点である。というのも、その「F.」や「E.」はシューマンが自身の評論の中で生み出した架空の団体「ダヴィデ同盟」の核をなす2人の人物(にして、シューマンの分身)たる「フロレスタン」と「オイゼビウス」のイニシャルだからだ。

  そのイニシャルを敢えて削るというのは、この舞曲集のコンセプトはもちろん、同盟自体を改定時のシューマンがどこか否定的にとらえていたからだろう。 事実、改訂版出版後のことではあるが、シューマンはダヴィデ同盟のことを「ままごと遊び」とか「~ごっこ」とか述べているのだ(アルンフリート・エードラー(山崎大郎・訳)『シューマンとその時代』、西村書店、2020年、119頁)。

 とはいえ、改訂版をわざわざ出したということは、作品自体には本人もまだ価値を認めていたからだろう。だが、それを演奏するにせよ聴くにせよ、「ダヴィデ同盟」を全面的に受け止めるか、それとも「~ごっこ」(つまり、もはやさほど意味のないもの)とみなすかによって、この舞曲集はかなり異なる現れ方をするものとなろう。そして、そのどちらもそれぞれに「あり」だと私は思う。