このところ一日おきに出かけているが、今日はその最終日。大阪のザ・フェニックスホールでシェーンベルクの音楽を堪能してきた。その演奏会は次のものだ:https://phoenixhall.jp/performance/2025/01/25/22073/。演目は次の通り:
▼シェーンベルク(ヴェーベルン編):室内交響曲 第1番(室内楽編曲版)
▼シェーンベルク:『ブレットル・リーダー』より
▼ヴェーベルン:ヴァイオリンとピアノのための4つの小品
▼ベルク(作曲者編):室内協奏曲より 第2楽章
アダージョ(クラリネット三重奏版)
▼シェーンベルク:月に憑かれたピエロ
この演奏会は2つの点で楽しみにしていた。1つは大好きなシェーンベルクの音楽がたっぷり聴けること、もう1つは北村朋幹のピアノが聴けることである。そして、いずれの点でも大きな満足を味わうことができた。
まず、選曲がよい。表現主義以前のシェーンベルクとその渦中にある大きめの作品2つを中心に据え、それとは異なる、だが、決して軽視すべきではない一面を『ブレットル・リーダー』で示す。のみならず、2人の高弟ベルクとヴェーバーンの作品も取り上げることでシェーンベルクの音楽の特質がいっそうよく見えるという仕掛けである。いや、すばらしい。
そして、演奏もすばらしかった。近年、私はますますシェーンベルクの音楽に「美しさ」を感じるようになってきているのだが、今日のシェーンベルク作品の演奏はいずれも(決して表面的なものではなく、もっと深いところで)美しい演奏だった。それゆえ、大満足である(ただ、《ピエロ》のシュプレッヒシュティンメはもう少し「語り」に近い方がよかったかもしれない)。
もっとも、実のところ今日の演奏でもっとも深い感動を覚えたのはベルクの「アダージョ」だった。そこで北村が奏でるピアノの響きはおよそ尋常なものではなかった。音律が固定されたこの楽器から出ているとは到底思えないような「ゆらぎ」がしばしば感じられ、何とも不思議な感覚に襲われる。表現力の幅広さとそれを駆使した演奏の説得力。かくして、北村のピアノへの興味はさらに高まった(というわけで、やはりあのリストの《巡礼の年》全曲盤やケィジの《ソナタと間奏曲》のCDは是非とも聴かねば!)。そして、そのピアノに絡むヴァイオリンとクラリネットの演奏がまた魅力的なのだ。
ともあれ、まことにすばらしい演奏会であり、演奏者の方々、そして、企画運営に携わった方々に心から感謝したい。どうもありがとうございました。
ところで、今日聴いたシェーンベルクの《ピエロ》と一昨日観た文楽というものにどこか相通じるところがあるように感じた。もちろん、両者は直接は何の関係もないことは重々承知しているものの……[追記:こう書いてから、八村義夫がそのことをすでに述べていたことを思い出す。そして、なるほど八村の言う通りだと思った。その文章を何度も読んだはずなのだが、自分で文楽を観るようになるまでその意味が実感できなかったわけである]