2025年1月22日水曜日

演奏会の聴き方の変化

  昔は演奏会を聴くと、つい作品も演奏も分析してしまい、細々としたことが気になった。そして、自分が理想とする音楽のありように照らし合わせてしまい、その結果、あれこれ不満が生じたものである。

 だが、今はそんな聴き方はほとんどしなくなった。どんな演奏であれ、その場で自分に何かしら幸せな気分をもたらしてくれるもの(その中には未知なるすばらしいものとの出会いも含まれる)ならば「よい」演奏だと思うし、それを楽しんでいる。演奏会は出会いの場であり、その「一期一会」を大切にしたいのだ(だからこそ、本当に聴きたいと思うものにしか出かけなくなってしまった)。

 では、そうはならない演奏についてはどうか? 「その演奏にはご縁がなかったのだなあ。残念」と思うようになってきている(この微妙な言い方は、まだ完全にはそうなっていないことを表している)。私は数年前に「音楽評論家」を廃業したが、なるほど、こんな聴き方をしているのでは演奏会評など書けたものではないし、そもそも書く気もしない。

 もっとも、分析的な聴き方を全くしなくなったわけではない。が、それを行うのは繰り返し聴くことができる録音に対してである。すばらしい演奏の秘密を知りたいと思うからだ。