私が少年時代に愛聴していた《展覧会の絵》はホロヴィッツ演奏のものだった。彼があれこれ手を加えてもので、とりわけ終曲の迫力にはただただ圧倒された(https://www.youtube.com/watch?v=aw6qOVHChLs)。
だが、この演奏は原曲のよさをある面では巧みに引き出しつつも、別な面では覆い隠してしまっており、功罪相半ばするものだといえる。事実、私はこのホロヴィッツ版にあまりに馴染みすぎたがために、かなり長い間、普通の楽譜通りの演奏を聴いてもどこか物足りなさを覚えずにはいられなかった。その後幸い、その「症状」は治ったが……。
ところで、このホロヴィッツ版の《展覧会の絵》を某ピアニストが録音しているが、やはり本人の演奏とは何かが大きく異なっており、どうにも物足りなかった。やはりこの編曲はホロヴィッツ自身の演奏スタイルと密接に結びついており、他者には真似できないものなのだろう。
それゆえ、現在のピアニストはそうした危険なホロヴィッツ版に手を出すよりも、いっそのこと自分で編曲――1980年代以降に流行った「換骨奪胎」的編曲=創作の流儀で――した方がずっと面白いものになるはずだ。