2025年1月24日金曜日

メモ(138)

  昨日観た「本朝廿四孝」は近松半二(1725-83。つまり、今からちょうど300年前の生まれ)その他の合作だが、当時と現在とではいろいろな意味でまるで世の中のありようが異なっている。となれば、同じ演目についても、演じ方も異なれば、観方も当然違ってこざるをえまい(たとえば、「奥庭狐火の段」に登場する狐を現代人は「神の使い」などとは考えず、そういう「物語」の登場者として観てしまうが、当時の少なからぬ人はそこに何かしらリアリティーを感じたかもしれない)。さて、その「違い」はどのようなものだったのだろう? それを知る術はないが、ついあれこれと想像してしまう。

だが、それはそれとして、私は文楽をたんなる「古典芸能」としてではなく、今現在の芸能として楽しんだし、これからもそうするだろう。彼の地で遠い昔に生まれた西洋芸術音楽に対するのと同様に。