2025年1月10日金曜日

名曲との再会

  ムソルグスキーの《展覧会の絵》は少年時代の私の愛聴曲であり、愛奏曲であった。もちろん、当時の私の技術では弾けるはずもない曲だった(もちろん、今もそうだ)が、ゆっくりめの曲のみを取り上げ、それこそ暗譜するくらいに好んでいた。が、その反動だろうか、あるときから全く見向きもしなくなり、楽譜すら持たない時期が長く続く。

 その後、この《展覧会の絵》をCDなどで時折「聴く」ようになりはしたものの、「弾く」事には全く興味がなかった。ところが、数年前、古書店で安価な楽譜を見つけ、「まあ、この曲の楽譜があっても悪くはないか」と思い、それを購ったのである。

 とはいえ、その楽譜を譜面台の上で開くことはほとんどなかった。ところが、数日前、なぜか急にこの曲の音をピアノで鳴らしてみたい気になったのである。そして、たどたどしく音を拾ってみると、その豊かな響きに驚かされた。「何を今更」という感じだが、実際そうだったのだから仕方がない。とにかく、どの曲も実によい響きがするし、弾き手(にして聴き手)の想像力を大いに掻き立てるのだ。この作品は「弾きやすさ」という点では必ずしも「ピアニスティック」ではないが、この楽器の響きを十全に活用しているという点ではまさに奇跡のピアノ名曲である。「なぜ、このようなすばらしい曲に長年触れずじまいだったのだろうか?」と自分を訝らずにはいられなかった。

 だが、こうも考えられる。つまり、そのように「長年触れずじまい」だったからこそ、まるで未知の曲に触れるがごとくにこの《展覧会の絵》の魅力を味わうことができたのだろう、と。そして、これはなにもこの曲に限ったことではあるまい。いかに名曲であっても、始終顔をつきあわせていれば、嫌になりもする。その場合、この私にとっての《展覧会の絵》のように、冷却(忘却?)期間を置くのがよかろう(もっとも、そうなると、現在の多くの演奏会から足が遠のくことになるかも……)。