2025年1月16日木曜日

メモ(137)

  人は自分自身の姿を直接見ることはできない。だから鏡などによってそれを間接的に知るしかないわけだが、そのためだろうか、そこに映った姿を見ても驚くことはない(はじめのうちはあるのかもしれないが、そのうちに馴染んでしまう)。

 他方、自分の声の場合は自然に聞こえてくる。とはいえ、その聞こえ方が他人のものとは異なるので、録音で聞かされる自分の声は得てして驚きをもたらす。そして、いくら「他人には実際にこう聞こえているのだ」と言われようとも、なかなか納得しがたいところが残る。

 しかしながら、そのように「自分の声の聞こえ方が他人のものとは異なる」、つまり、自分にとって極めて身近であるはずの自分の声(=自己認識の一部)が他者にはそれとは違ったものとしてとらえられているということには、人間存在にとって何か深い意味と意義があるように私には思われてならない。

 

 昨日話題にしたメンデルスゾーンの不便なCDだが、結局、PCにデータと取り込み、ファイルに別名を付けて整理整頓することで何とか楽譜の順番に作品を聴くことができるようにした。が、作業は面倒だったので、やはり件のCDはお薦めできない。