2025年1月1日水曜日

2025年の始まりに

  2025年が始まった。いったいどんな年になるだろうか。少なくとも世の中がこれ以上酷いことになりませんように。

 

 毎年、作曲家の「生誕○年」とか「没後△年」とかいうことを考えるのだが、真っ先に浮かんだのは音楽家ならぬ作家の三島由紀夫である。今年は彼の生誕100年なのだ。私は少年時代に耽読し、その後はほとんど読み返していないが、今読めばもっと楽しめるような気がする。今の若者にとって、三島はどのような存在なのだろうか? 

 

 さて、作曲家に話を戻せば、今年はラヴェルの生誕150年、ピエール・ブゥレーズ、ルチアーノ・ベリオ、アルド・クレメンティや芥川也寸志の生誕100年、モリッツ・モシュコフスキの没後100年、ボリス・ブラッハーの没後50年くらいがぱっと思い浮かぶ。もちろん、探せば他にもあるだろう。

 

 「年の初めに何を弾いたものか」と考え、ある楽譜を書架から取り出してきて、ピアノの前に広げ、演奏を始めた。いや、自分では何もしなかった。その楽譜はジョン・ケィジの《4 33秒》だったから。「新音楽」についていろいろ考えている最中なので、それにふさわしい曲(?)を選んだわけだ。

 その演奏(?)中、窓の外からは飛行機らしき音が聞こえてくる。正直言って耳障りだった。そして、これがなかなか去ってくれないものだから、周囲の物音に耳を傾けるどころではない。まあ、それはそれでいろいろなことを考えさせられたから、よしとすべきか。