今日で2024年も終わりだ。今年は大きな変化のない穏やかな1年だったと思う(仕事にも大きな変化はなかった(恥))。こんな世の中だけに、ありがたいことである。が、私個人に関しては、いつまでも安穏としてはいられないとも強く感じている。
先日、私の家族、そして、親しくおつきあいさせていただいている朱喜哲・呉多美ご夫妻と昼間にプチ忘年会をした。朱さんはプラグマティズム哲学の研究者であるとともに一般企業でも活躍する「文武両道」ならぬ「理実両道」(という言葉を今、思いついた)の人であり、呉さんは自身の演奏に留まらないさまざまな活動を繰り広げるピアニストである。それだけに私もいろいろと教わるところが多い。が、その席では難しい話ばかりしていたわけではなく、皆で和気藹々と四方山話に花を咲かせたのだった。ありがたいことである。
ありがたいといえば、森本恭正さんとの出会いもまさにそうだ。積極的に他人と交わりたいとは思わず、その努力もしない私に、森本さんはメイルをくださり、以来、多くのやり取りをしている。その何とも刺激的な内容は得てして「オフレコ」ものだが、多くの示唆をそこで受けており、それは来年以降の私の仕事に反映されることだろう。というわけで、この出会いにも感謝である。
娘が楽しみで小説を書いていることは以前話題にした(サンプルはこちら:https://privatter.net/p/11322571))。来年早々に京都で行われる文学フリマにも新作を携えて参加するようだが、とにかく楽しそうなので私も心が温まる。
その娘は「note」というサイトで文章を綴ってもいる(https://note.com/jolly_dill136)。誰でも参加できる場なのだが、これはなかなかよさそうだと思ったので、私も来年は利用してみたい。このブログで書いているのとは異なる、もう少しハードな文章を載せるつもりだ。最初のネタは「新音楽について」(いわゆる「現代音楽」の中のある種の音楽について、それが従来のクラシック音楽とは何が異なっているのかを、『黄昏の調べ』とは些か異なる視点から論じる)である。乞うご期待。