音楽はコミュニケーションの場である。たとえ1人で音楽を奏でたり、聴いたりしているときでもそうだ。自分が向き合う音楽は「他者」であり、それとのつきあいが音楽行為の核心を成す。私はそうした音楽なるものに少年時代から魅せられ続け、今に到る。
だが、今になって思うのは、「自分は現実の人間(関係)が苦手だからこそ、音楽にのめり込んだのではないだろうか?」ということだ。私は音楽を通して、眼前にはいないがどこかにいるはずの他者とのコミュニケーションを取ろうとしたのではなかろうか。
もちろん、私にとってさほど多くはない現実の人間との関係を築く上でも音楽は役に立ってくれた。もし、音楽との出会いとつきあいがなければ私の人生はさぞかし悲惨なものになっていたことであろう。
もっとも、反面、音楽というものは扱いのなかなかに難しいもので、容易に他者との間に壁をつくりあげてもしまう。「音楽とは無条件に善なるもの」なのではなく、使い方次第でとんでもない結果も招きかねない劇薬である。が、それだけにその「うまい」使い方を人はそれぞれに見出す必要があろう。実際に音楽との関わりの中で。