2024年12月5日木曜日

『チェルニー40番』を楽しむ

  今日はなぜか『チェルニー40番』が弾いてみたくなり、ぼろぼろの楽譜を取り出してきた。これを習っていたのは今から40年以上も前のこと。そのときはただただ苦痛でしかなかったのに、今弾いてみると実に楽しい。音楽としてだ(それゆえ、きちんと練習し直したいと思った)。

少年時代の私にはその「音楽」がわかっていなかったし、当時の「先生」にはそれを教えるだけの力量がなかった(のみならず、どうすれば弾けるようになるかも教えられなかった)。それゆえ、私にとって長らくチェルニーは忌まわしい存在だったのである。

その後、チェルニーの「教本」以外の作品を知り、この作曲家の偉さがわかるようになりはしたものの、それでも教本に再び目を向けることはなかった。

ところが、今日、「気分は『チェルニー40番』!」ということになり、改めてこの人の偉大さを実感することとなったわけだ。

その中のあれこれの曲を弾き散らかしながら、それが「ピアノ奏法」の教本であるだけではなく、音楽の「定型表現」の教本でもあることを再認識した。学習者はそこに収められた曲を弾けるようになる過程で、同時に音楽の基本的なあり方を自然に身につけることになるのだ。ただし、初学者にとっては、そう指導することができる教師がいるという前提の下で(チェルニー教本の評判の悪さは、その中身よりも、むしろ、その真価を伝えることができない「ピアノ教師もどき」のせいなのではなかろうか? もちろん、言うまでもないが、チェルニーをきちんと指導できるすばらしいピアノ教師も少なからずいることだろう。私も少年時代にそうした教師に出会いたかった)。